玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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カレーの国

▼カレーばかり食べている。作りすぎた。以前は毎日カレーでもよいと思っていたし、マサオがラモスになるほどカレーを食べていたわけだが、ここ三日でそれほどカレー好きでもないということに気づいた。朝晩カレーだとさすがにきつい。わたしのカレー愛はその程度だったということか。べつにショックでもないけど。そもそも、わたしなどスパイスから作ったカレーではなく、カレーの王子様でももったいないほどだ。

 

そういえば、カレーの王子様ってよく聞くけど、あれはなんだろう。カレーの国の王子なのかな。カレーの王様、カレーの女王、カレーのお姫様などもいるということか。カレーの社長、カレーの部長、カレーの係長などもいる。カレーの社長の愛人が会社の経理を牛耳っていて、必要な備品の購入にもいちいち口を出してくるのでたまらないという。たまにカレーの社長とカレーの社長の愛人が一緒に姿を消して、ブランド物の袋をさげて帰ってくるという。そっちに回すなら給料上げてくれとのこと。これは、わたしのカレーの友人の話です。

 

 

 

▼なぜあえてお金を払ってまでホラー映画を観るかというのは以前考えた。そのときは、怖い目に遭うことによって生を実感したいからだと考えた。でもこれは違うように思う。わざわざそんなことをしなくてもよい。たとえば健康な状態の人がいたとして、自分の顔面を自分でぶっ叩いて「痛い! さっきまで痛くなかったのに今は痛いぞお。これは幸せ!」って喜ぶだろうか。頭がおかしい。試す必要などないのだ。

 

怖いものを見るのは、恐怖のあとの安堵の感情が気持ちよいからではないか。ホッとするというやつである。あれが快感。仕事のあとのビールと同じである。くぅ~、この一杯のために生きてきました~である。まったく飲めないわたしがいうのもなんですが。

 

つまり、安堵を感じたいためにせっせと自分から恐怖を摂取していることになる。なんだか、いびつで異常な行為にも思える。これは安堵だけではなくて感動する映画やスポーツの興奮も同じなのだろうか。現代人は感情を揺さぶる中毒の中にいるのかもしれない。