玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ガラケー

▼先日「アメトーーク!」でガラケー芸人の回があったという。わたしもガラケーであるからして観ればよかった。いまだにガラケーを使い続けていると、何か強固な信念があって面倒くさそうな人と思われることがある。そんな信念はない。誰からも連絡がないためスマホに替える必要もないためだ。LINEを使う必要もない。悲しい事いわせるんじゃないよ。あと、正直にいえばスマホにしたら魅力的なアプリでひたすら遊んでしまうはず。仕事も読書もしなくなる。わたしは、わたしの自制心をこれっぽっちも信用してないからな。

 

ガラケーはたしかに迫害されているかもしれない。喫茶店ガラケーをテーブルの上に置いただけで「ねえ、あの人、ガラケー」といわれ、こちらをチラチラ見られたことも。わたしは指名手配犯か。まだ指名手配ではない。今後は知らないけど。女の子から面と向かって「今ガラケーの人って、変な性癖ありそう」といわれたこともある。バカか。それほどでもないわ!

 

というか、その一言によって身動きがとれずガラケーを取り出すこともできなかった。わたしはずっとスマホですが? スマホパズドラをやりながら生まれてきましたが? という顔で過ごしてしまった。ああ、わたしはガラケーを裏切ってしまったのだろうか。みんなちょっと前はガラケーだったのに。この変わりようはなんだろう。

 

かつてはキノコの山や板チョコをむさぼり食って育ったはずなのに、急に「甘い物はもうジャン=ポール・エヴァン(高いお菓子)以外、舌が受けつけないの」と白金住まいの美魔女のようなことをいいだす。いいんですか、それで。おまけに、わたしが「チョコ」といえば「あ、ごめん。チョコじゃなくショコラね」と訂正してくる。サンドウィッチマンか、おまえ。「ピザじゃなくピッツァね」っていうコントか。おまえが今後「チョコ」っていったら舌を切り落としに行くからな。こっちは常に心の高枝切りバサミを研いでいるぞ。

 

途中から知人の悪口になってしまった。ガラケー関係なかった。

 

でも、滅多にないことだけど、仕事に行くときの信号がすべて青になるぐらいの確率でガラケーの人と出会うことがある。それは砂漠でオアシスを探して死にかけていたとき、人に出会うぐらいの嬉しさがありますね。すぐ手を取り合って友達になっちゃう。ハグしたい気分である。両方とも水は持ってないけど。絶望。

 

 

▼映画の感想「カットバンク」を書きました。田舎の町の殺人事件。