玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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散髪

▼髪を切りに行ったらいつも通っているところが休みだった。せっかくなので街をぶらついて良さそうなところで切ってもらうことにした。しかし、いざ切ってもらおうと思うと店構えが洒落ていて入りづらい。かといって昔からある街の床屋みたいなところは値段も出てないし、それはそれで入りづらい。どこかわたしでも気軽に入れそうなカリスマ美容師はいないものか、千円で頼む。

 

ここは一つ検索してみようかと思ったが、携帯に頼るのもどうかと思う。あくまで街をぶらつき偶然の出会いに期待するのだ。あそこも駄目、ここもちょっとなどと思っていたら、いつの間にかえらい距離を歩いてしまった。途中にマウスを買ったり余計な寄り道をしてしまった。頭はどうでもいいが足が限界である。迷い込んだ裏通りの一角に、小さな古い床屋を発見した。もうこの際、腕はどうでもいい。とにかく切ってさえくれればいいのだ。なにせ土台が土台であるからしてどう切っても妖怪にしかならないのだ。だが、せめて人間に怖がられない妖怪でありたい。

 

店に入ると、リリー・フランキーさんそっくりの店主がいた。わたしを見るととても小さな声で「幸せ?」と訊いてくる。髪を切りに来てとんでもないことを聞かれてしまったとうろたえていたら、もう一度「幸せ?」と訊かれた。余計なお世話だ。と思ったら「いらっしゃいませ」ととても小さな声でいったのだ。当たり前である。

 

リリーさんから、さらにやる気を削ぎ落したようなおじさんだったが腕は確かなようで、15分後には鏡の前にはスッキリとした妖怪がいた。ありがとう、リリーさん。わたしは幸せです。

 

 

 

▼家に帰ってグーグルマップでルート検索をしてみると12キロ歩いていた。なかなかである。途中で根負けしてタクシーに乗りかけた。1万円札をひらひらさせて「止まってー」とバブル期のサラリーマンのごとくタクシーをとめかけた。知らんけど。そういう話を聞いただけだけど。本当にそんなことやってたのかな。

 

2月頭に毎日日記をつけると決めて、いろいろ引用したり、なんやかんやしつつも、なんとか書き終えることができた。特に感想もないわけですが、歩いていると書けることに気づいた。以前から風呂と散歩の間に考えがまとまるような気はしていた。でも、これは風呂と散歩中に特別いい考えが浮かぶということではないのかもしれない。たとえば何かを考えたとして、せいぜい2、3分しか人は考えないのではないか。そこで思いつけないと、もう違うことをしてしまう。

 

それとスマホやPCがあるのも問題である。完全に何もしていない時間があれば、やはり人は考えるのではないかしら。それがわたしの場合、風呂と散歩の時間なのだ。2,30分は何もしない時間ができるのでどうしても考えてしまう。それがいいのかな。

 

もう3月である。3月からはまたあまり書かない生活に戻る。とりあえず一か月続けることはできた。わたしはわたしを信用していなかったが、思ったよりもわたしは信用できるのではないか。わたしって何回いうつもりか。4回。では3月は再びマイペースで。

 

 

 

▼「白杖を使う父ー」(grape

目の不自由な方は白杖を使うことがありますが、全盲の方だけでなく半盲の方も使うそうです。「半盲」という言葉を知らなかった。目が不自由ではないのに白杖を使っていると誤解され、心無い言葉をかけられることもあるようです。

 

半盲ー片方の目、もしくは脳の障がいにより両目共に左半分、または右半分が見えない視覚障がいのことです。中には上半分、下半分が見えない方、中央が見えない方など、様々なケースがあります。

 

 

 

▼ENGEIグランドスラムで、エレ片エレキコミック片桐仁)のコントを観た。片桐仁さんがスタジオでコントをやるのは15年ぶりということで、そんなにたつのかと驚く。活躍されてますねえ。ラーメンズというと優秀なほうが小林賢太郎で、ポンコツなほうが片桐仁というイメージだったのだけど。最近はコメンテーターとして出ているのも見たし、もはやポンコツではないのか。それはそれで残念。他にも和牛、東京03などが観られて楽しかった。

 

ラーメンズはもうコントをやらないのかなあ。