玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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見兎放犬

▼猫を写している方のブログをよく見る。驚くのは、みんな家がきちんと片付いているのだ。チラシが置いてあったり、皿やコップが出しっぱなしということもない。出ていたとしても整えられている。どうしても背景に余計なものが写りこんでしまうので、撮影は家が片付いてないとまず無理である。そういうところに感心する。結局、猫をあんまり見ていない気もする。わたしの家も猫さえいてくれれば散らからないのに。また一つ自分に対しての言い訳を考えることができた。収穫。

 

 

 

▼物事は深く考えることに価値があるように思われているけれど、浅いというのもいいのではないか。

 

物事は学び始めに得るものが多い。始めたばかりの頃はぐんぐんと新しいことを吸収し、ある程度上達するとそこからさらに上達するには今まで以上の時間とエネルギーがかかるようになる。ということは、いろいろなことに挑戦して始めのうちに吸収できる経験を吸い取って次へ次へといくのもありなのかな。なんだかそれは上澄みを掬いとるようで、いいとこどりのずるさも感じるのだけれど。

 

だが、新しいことを学んで得る真理というものがある。真理は分野が違っても適用可能で役に立つものも多い。わたしも何か新しいことを始めようかしら。ヒップホップとか、わら人形づくりとか、ぬかみそづくりとか。やはり受動ではなく能動である。そういえば、81歳でスマホのアプリを開発したおばあちゃんの記事(朝日新聞デジタル)を読んだ。

 

「人間いくつになっても」とはいうが、たいてい口だけで終わってしまう。81歳でねえ。こうしてはいられないと焦る。わたしも今晩からでも、わら人形づくりを始めたほうがいいのではないか。思い立ったら吉日というではないか。呪う相手は山ほどいる。