玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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決断

▼アニメ「日常」全26話を観終わった。ああ、明日から何を楽しみに生きていけば。もうわたしの人生には何もない。

 

まだ「日常OVA」があった。生きる希望が湧いた。わりとお手軽に湧く。

 

 

 

▼お世話になっている会社に。打ち合わせ相手と一緒にご飯へ。彼の話を聞くと、会社を辞めようか迷っているという。35歳ぐらいというのはなかなか難しいですよね。まったく新しい業界で募集があるのは35ぐらいまでだし。ただ、行こうと思えば本当は歳は関係ないのかもしれないけど。

 

自分が本当に何をやりたいのか、どんなものに向いているのかわからないという。正直な人である。わたしなどは志がないから、ご飯さえ食べられれば、何をやってもかまわない。レンコンの穴を彫刻刀で開けるという今の仕事を続けているだけで文句はない。来る日も来る日も、レンコンに穴を開け続けるだけの単調な日々である。腱鞘炎になって彫刻刀を持つ手が震えても、それでもレンコンに穴を開けるのだ。それしかできないのだから。

 

彼はいろんな自己啓発本を読んでいて、それらに載っている成功者の言葉を読むと「好きでやっていたら自然とこうなった」というのが多いらしい。それは本当にそうなんだろうなと思います。成功者の言葉というのもなかなか曲者で、つい自分と引き比べて「ああ、自分なんか全然駄目だ」と思ってしまう。夢がないことが恥ずかしい気持ちになるかもしれない。

 

成功者の言葉の中にヒントや正解が書かれていることもあるだろう。でも、やはりそれは他人が出した答えであって、その人にとっては正解でも彼にとっては違うかもしれない。みな違う人間なのだから自分の頭で考えて悩まなければならない。夢を追うのもいいし、何をやりたいかわからないからとりあえず近そうな所にいってみるのもいいし、今の仕事が面白くなるように何かないか探してみてもいい。結局は自分のやることには自分しか責任が持てない。自分で決断するしかない。人の言葉で動けば、失敗したときにどうしてもその人を恨むことになってしまう。

 

しかし、夢を追ってるというとなんだかかっこいいし、そこに何かありそうな気がするんですよねえ。実際、夢を追って成功した人も多いだろう。でも本当にそうなのかなとも思う。成功した後に「夢を持ってたというほうがかっこいいから、そういうことにしよう」と決めた可能性だってある。怪しいものだ。本当はそんなものなくても、なんとかなるような。「この仕事に就くのが夢でした」という人が早々と辞め「いやあ、辞めたいけど仕方ないからやってるわー」という人が定年までいったのも見ている。どうなるかなんて誰にもわからないが、とりあえず自分で決めねば。すべて自分で決めなければならないのが大人のつらいところである。

 

わたしなど早く脳の改造手術を受けて「おまえは一生これをやっていればいいんだ。考える必要なんてないんだ」という神からの啓示を受けて暮らしていくことを望んでいる。

 

まあ、でも命まではとられないんだから多少決断を間違ったって大丈夫。傭兵か殺し屋になったりしなければ問題ない。

 

自分でも感心するが、本当にわたしのアドバイスは役に立たないなあ。立ったためしがない。