玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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蕗の天麩羅

▼蕗(ふき)、舞茸、タマネギの天麩羅を揚げる。蕗が買えるようになると春の訪れを感じる。そんで花粉症の兆し。春がもうそこまで。

 

 

▼いつからか蕗の苦味が美味く感じるようになった。味覚の変化というのは子供の舌、大人の舌という二段階なのだろうか。それともこれから先まだ変化して、更に何かわかるようになるのか。90歳ぐらいになったとき「電球うめ~! バリバリ」となっているかもしれぬ。それひょっとして認知症では。

 

 

▼友人夫婦の家にお邪魔。友人夫婦の子ター坊(中学一年)と話す。

 

ター坊からひたすら宇宙の恐ろしさについて聞く。ディスカバリーチャンネルでたまにやっているような地球の終わりなどの話。やがて太陽は膨張し、地球は太陽に飲み込まれることがもうきまっている。それは40億年後ぐらいのようだけど。地球の終わりとか、死後なにもなくなってしまう消滅の恐怖について考えると気が滅入ってくる。意識のみ永遠に暗黒を漂っていたらどうしようとか。肉体がないのに意識があるということが滑稽であるのは承知だが。

 

ター坊母は「そんなバカなこといってないで少しは勉強しなさい。ねえ?」と、まるで消滅の恐怖など意に介さない。だが、ター坊よりもわたしのほうがビビっている。なぜみんなビビらないのか。すごい。

 

こういった問いに対して、まるでなかったことのようにして生きられる人とそうでない人がいる。ター坊はそうでない側の人間なのだろう。こっち側の人生は面倒くさいからなあ。いまだに夜中「ど、どうしよ?」ってなる。40歳にしてまだなる。どっかおかしいんじゃないか、おまえとも思いますけど。

 

ター坊には「その怖さ、40でもまだ消えないから。きっと一生変わらないから」といって帰った。中学生を絶望させるのは気分がいい。

 

なるべく早く死ぬようがんばります。