玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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悪人

▼暖をとる猫。

あまりにもかわいい。肉球を温めたいのかな。

 

知り合いの猫は、知り合いが病気で寝込むと枕元にやってきて心配そうに額に前脚をあてるのだといっていた。それは肉球を温めたいだけなんじゃないか。どうなんだろ。本人は心配してくれていると信じているので、べつに何ともいってないけど。猫は余計なことをしゃべらないからすばらしい。心配しているにきまっている。

 

 

 

▼先日、アトム・エゴヤン監督の「白い沈黙」という映画を観た。これは前にも何度か書いたかもしれないが、頭が良いという設定の犯人なのにちょっと抜けている。それがねえ、残念。

 

ミステリーを観ていると、犯行が露見するときにはいくつかのパターンがある。

 

1 犯人がミスをする。(大事な物を置き忘れるなど)

 

2 不測の事態が起こる。(事故に巻き込まれるなど)

 

3 バカな仲間に足を引っ張られる。

 

4 探偵役がより優れた頭脳を持っていた。

 

1の「犯人がミスをする」これがもっともガッカリする。特にそれが頭脳明晰という設定の犯人だったりするともう目もあてられない。ああもう、この人とは絶対一緒に犯罪はできないと思ってしまう。2の「不測の事態が起こる」も同様に残念なケースだが、こちらはまだ同情ができる。ただ、贅沢をいうなら、その不測の事態も予見してほしいもの。

 

3の「バカな仲間に足を引っ張られる」これがねえ、けっこう好きなんですね。バカを仲間に引き入れたことがそもそもの誤りで、犯罪は優秀な少人数(できれば一人)でやるのが望ましいものの、なにせバカは事態を引っ搔き回すので楽しい。バカはとまらない。ホームラン級のバカであるほどすばらしい。がんばれバカ!

 

4の「探偵役がより優れた頭脳を持っていた」これがミステリーではもっとも望ましいケース。犯人の上をいって事件を解決してしまう。森博嗣のミステリーなどはお利口さんしか出てこないのですばらしいと思います。

 

で、どんな犯人が理想的かと考えていくと、究極的には悪いことをしない人が最も優れた悪人じゃないだろうか。仮に人を刺したいという欲求があるとしたら、豚肉などを買ってきてそれをめった刺しにして欲求を解消する。社会的に問題が起こらない形で問題を解決してしまう。これが本当に頭の良い犯人であって、そもそもそういった人間は罪を犯さないのではないか。

 

ホームズなどは原作を読むと、殺人がないときは本当にヒマそうで覚醒剤なんかやっている。完全にアウトな人である。あれは探偵でなければ犯人になりかねない人間で、悪人が何かやってくれることに期待しているとしか思えない。悪人が出てくることで刺激的な生活ができ、自己の欲求も満たされ、社会的にも認められる。これこそが理想的悪人の姿かもしれない。悪いことをやっているうちは悪人もまだまだということなのか。