▼バレンタインデー近し。女子大生バイト後輩ちゃんが「来週は全員にチョコ配ります」と宣言していた。第二次大戦後の進駐軍のような優しさよ。もらう前には「ギブミーチョコレート」という。
▼思えばコンプレックスの多い人生だった。コンプレックスを克服する方法を考えていたのだけど、コンプレックスを克服するにはコンプレックスを克服するという方法しかないのではないか。なにをいっているんだ、おまえはという話ですけども。
たとえば童貞に悩む人がいたとして、童貞を卒業したいと強く願っていても、卒業したとたんに「別にどうでもいいことだったわ」と憑き物が落ちたように気づく。これである。ということは、すべてのコンプレックスは克服できた者にとってはつまらぬことであり、悩んでいる者にとっては重大なのだ。これがコンプレックスの正体ではないか。克服するのは、克服できるまで不可能である。逃げ道はない。コンプレックスにも努力で克服可能なものとそうでないものがある。体重などは努力である程度はなんとかなる。コンプレックスをうまく使うことで、努力した結果よりよい人間になれる場合もあるのだろう。悪い事ばかりではない。
いずれにしろコンプレックスなんて他人から見たらどれもこれもつまらぬものでしかない。自分が気にするほど他人は人のことなど気にしないだろう。本人にしてみると重大な悩みなのは変わらないのだけど。とすればですよ、今コンプレックスを抱えて苦しんでいても、それは解決後にはどうでもいいことになるというのは目に見えている。じゃあ、悩むだけ無駄ではないか。
こうやってうまいことコンプレックスをなかったことにしてきた結果、今のわたしがある。まるで成長しないままここまで来た。これから先どうやって逃げ切っていくか。新しい言い訳を探す時期に来ている。