玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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西東京市

▼正月は叔母の家の片付けに行った。叔母は西武線沿線に住んでいた。西武線の駅名を見ていると方角や新がついたものがずいぶん多い。どこもそんなものかな。西所沢、新所沢、新桜台、東長崎、南大塚などなど。所沢があるから新所沢や西所沢があるのだろうけど「新」や「西」という地名はなんだか独自性がないようでさびしい。所沢の存在があってはじめて自分たちが存在するような、などといえばその地域に住んでいる人は嫌な気分になるかもしれないけど。

 

とはいえ、「東京」という名前の由来も京都の東という意味である。東の京=都という説と、京都の東に位置するから東京という二通りの説がある。いづれにしろ京都を中心としている。現在では東京という言葉を聞いたとき、いちいち京都の東を想起する人は少ないだろう。だから独自性うんぬんも、関係ないのかもしれない。

 

前置きが長くなったが以前から気になっていたのが「西東京市」の存在である。2001年に田無市(たなしし)と保谷市(ほうやし)が合併して西東京市ができた。あの「西東京市」というのがよくわからない。西東京というからには東京から西にいったところにあるのが西東京市だと思うのだけど、西東京市は東京都の内部に位置している。本当は東京西部なのだ。

 

そうなると西東京市というのがいよいよ奇妙に思えてくる。京都の東だから東京と呼んだのに、東京の西となると結局は京都を指してしまうのではないか。行って戻って意味がない。裏の裏が表みたいな。おまえ、なにいってんのといわれるかもしれませんが。なぜ西東京市と付けてしまったのだろう。田無保谷市保谷田無市、田保市、保田市などにしてもよかったのかもしれないが、そうなると「どちらが上にくる」ということで争うのが常である。人は醜い。争いを避けるため知恵を絞った末にようやく生み出されたのが西東京市なのだろうか。だいぶねじれている。

 

友人A子は西東京市に住んでいる。「あれですか、西東京市に住んでいるとやっぱり人間性がねじ曲がったりしますか?」と訊けば、返事もなくボディにパンチを打ち込んでくる。西東京市の人間にはそういうところがある。2017年も西東京市民を差別していこうと思います。