玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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食べて寝て 寝て寝て食べて 寝て食べて

▼五七五にするのも申し訳ないぐらい自堕落な正月。唐揚げをひたすら揚げた年末だった。2キロ太る。微増。

 

年末、テレビ局はみな特番を流す中、ヒストリーチャンネルは「古代の宇宙人」という怪しげなシリーズを流していた。今やらなくてもいいだろう、それという。マイペースである。古代の宇宙人を見ながら年越し。生まれ変わったらヒストリーチャンネルになりたい。

 

 

 

▼友人と会った。ついに家を買ったという。30年ローンだという。また一人懲役30年の囚人が誕生。「最近なんか買った?」と訊かれたが、わたしが買ったのはせいぜい風呂のフタぐらいである。今まで蛇腹のフタを使っていたが、あれはでこぼこしていてカビがつきやすい。その点、今回買ったものは板状の物なので掃除がしやすくカビがつきにくい。一か月ほど使っているがまったくカビていない。自信を持って薦めたい。しかし、「家を買った」という奴の次に「風呂のフタを買った」とはさすがに話しづらい。わたしも家を買いたいなあ。いや、実のところ家はどうでもいいが懲役30年のローンでヒイヒイいってみたい。ローンが欲しい。眉間にしわを寄せ「いやあ、ローンの支払いが苦しくてねえ」に憧れる。あれこそ正しい大人ではないか。

 

 

 

▼のせ猫×みかんピラミッド

おとなしくみかんを積まれているのがすごい。横切る猫のふてぶてしさもいい。

 

 

 

▼選択バイアス

まったく逆のことをやっていることがよくある。案外、気づかないものなんでしょうね。

 

 

 

▼小金井市の千手院が除夜の鐘を自粛したというニュースを観る。千手院は住宅街の真ん中にあるのでたしかに騒音はあるのかもしれない。しかし、年一回なんだからいいのではとも思う。なんにでも文句をいう人はいる。だが、それだけではないような気もするのだ。

 

年末に叔母が亡くなって葬儀を終えた。火葬場ではわたしたちの他に何組か遺族がいたが、少人数の遺族が多かった。もう家族葬のほうが一般的に思える。葬儀の形や意味も変わってきた。商売をやっていた先代が亡くなり、代替わりした後継ぎのお披露目という意味はなくなってしまった。だいたいの人は会社勤めなわけで、お披露目の必要もない。地域の人間と関わらなくても生きていける。そうなれば自然と家族葬が増えるのだろう。費用も安く済む。叔父に聞いたところ今回は「火葬もコミコミで25万ぐらいだった」という。コミコミっていうのはどうなんだ。携帯の料金プランじゃないんだから。

 

それと市営などの公立墓地が増えたのも関係しているように思える。従来のように寺と檀家という結びつきが減っている。必ずしも寺に埋葬してもらうこともない。檀家であれば寺への遠慮もあるだろう。だが、家族葬でお経をあげてもらう必要もなければお坊さんに世話になることもない。クレームも入れやすくなるだろう。

 

そして、最後の要素として「なんにだって文句をいいたい人」の増加があるのではないか。この3つの要素が混ざって寺へのクレームが増えているように思う。でも、クレームを入れるということは、クレーム対象との関係が悪化してもなんら問題ないと思っているわけである。保育園へのクレームもそうだけど、地域社会なんてどうでもいいという人が増えているということかな。それはそれで少し怖い気もするのだ。