▼コンビニのおでんをツンツンしている間に今年も終わる。早いなあ。来年からは何をツンツンして暮らしたものか。
ポンピドゥーセンターでやってるロシアの現代美術展にあった14人の少女の写真。説明を読んだら「この写真の14人の少女のうち7人はごく普通の女子高生、残りの7人は殺人犯」っていう超おそロシアートだった… pic.twitter.com/sdmZwgdbme
— まおう (@149lunettes) 2016年12月29日
「現代美術」とはいったいなんだろう。どこまでやっていいのかな。「現代美術」と「悪ふざけ」の差がわからない。教えて。
▼「映画の感想」という半年に一度ぐらい誰かがこっそりコメントをくれるサイトをやっています。もっとコメントがあってもいいと思うのですが、あれかな、コメントすると呪われるとか思っているのかな。さびし。
で、たまにメールを頂くことがある。「映画に点数を付けた方が選ぶときに参考になっていい」というものでした。そうなんですよねえ。点数があると目安になるし、わたしもAmazonやYahoo!の映画レビューの星いくつをなんとなく参考にしているところもある。
だけどやはり不遜な感じが拭えない。誰かが必死で作ったものに対して、いわば自分の子供のような作品に対して上から「3点です。100点満点で」などというのは気が引ける。お金を払って観たから何をいってもいいというのとは、また別の話だと思う。映画監督が書いた本を読むこともあるけれど、名作かどうかは別として、とにかく考え抜いて苦労して作っているのがわかると尚更点数はつけがたい。そうやって厳しい評価を避けるのが作品にとってよくないのかもしれないが、厳しく評価したい人はそうするだろうし、わたしは今までどおりにやっていこうかなと思っています。なにせ半年に一回誰かが見にくるような影響力のないサイトですし。
批評や感想というのはどんなに偉そうなことを書こうが金魚にとってのフンぐらいの価値に思える。どんな優れた評であっても、親となる作品がなければ評が存在しないわけで、やはり作品に対する敬意は必要なのではないか。Amazonのレビューを読んでいると的確で感心させられる意見も多い。だが、椅子からずり落ちそうなほど的外れなものもある。わたしも的外れなことを書きがちだし、作品の意図をきちんと汲み取れてないことも多いのだ。そのことが何年か経ってからとか、なんらかの経験をしてからわかることもある。まあ、個人サイトなんて好きになんでも書いてよさそうだけど。結局それか。
Amazonのレビューは変なのも混ざっている。「発売日に予約したのに届かなかったので星一つです!」って、それは配送の問題ではないか。おまえ、頭おかしいんかということを堂々と書き込む精神力。それが沈鬱な閉塞感に包まれた今の日本にとって必要なことではないだろうか。
などと適当なことを書きながら今年もあと少し。みなさま、よいお年を。