玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

動機は不純に限る

▼クリスマスは仕事だった。いつの間にかクリスマスも正月もそんなに意識することはなくなった。

 

4歳の娘がいるAさんという男性社員は仕事が忙しくあまり家に帰れていなかった。久しぶりに家に帰ると娘がよそよそしい。仕事に出掛けるときに「また遊びに来てねえ」と手を振られたという。父親ではなく、たまに家に来るおじさんと思われている。悲し。

 

 

 

SMAP解散スペシャルを観ていた。28年間の活動ってすごいなあ。一つの会社にそこまで長く勤めるのは困難だし、誰かとの友情も28年続くのは稀である。子供の頃から、テレビを点ければどこかにSMAPの誰かがいたような気がする。思えば、日本のアイドルでもっとも影響力があったのがSMAPだったのかもしれない。「世界に一つだけの花」を歌い終えた後、中居君が涙を隠すように一人だけ列をはずれたのが印象的だった。

 

しかし、中居君、最後も歌が下手だったなあ。それすらもすごく良くて、もう上手い下手を超えたところにある。長く楽しませてくれてありがとうということしかない。

 

 

 

▼先日、仕事で会った人の趣味は音楽だった。60歳を超えており、孫と一緒に演奏できたらいいねといっていた。音楽を始めたきっかけは「モテたかったから」という。これ、テレビでミュージシャンがよくいっているが実にいい言葉だと思う。「音楽の魅力にとりつかれて」とか「人を感動させる仕事がしたかった」とか、そういう面があってもいいけど「モテたい」という不純な動機の純粋さがすばらしい。

 

あるいは本当に音楽が好きという理由しかなくて、その純粋さの照れ隠しのために「モテたかったから」といっているならば、それはそれでかっこいい。どっちに転んでも、結局かっこいい。

 

その点、ブログとか日記は駄目なんじゃないか。「モテたかったからブログを始めた」という人がいれば、なんだか気持ち悪い以外の感想がない。かといって「自己表現のため」とかいいだせば、これはどっちに転んでも気持ち悪いとなってしまう。さりげない動機が必要である。もう、こんなことを10年ぐらい書いているのだから、これはこれですごいというか、どっかおかしいのかもしれんけど。書いていて楽しいうちは書いていればいいんじゃないでしょうか。