玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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4歳児

▼休日に会社へ。休日ということもあり、子連れで来ている社員がいた。4歳の男の子だが醸し出す雰囲気がみょうに年寄りじみている。「ジュース飲む?」と訊けば「(今、来たばかりなので)落ち着いてから」と答える。おまえ、本当はいくつなんだ。40超えているだろう。

 

忘年会に向けて、テレビドラマで流行している恋ダンスを練習しているグループもいた。あれよりも、この子のほうがよほどしっかりしているように見える。恋ダンスグループから踊りの感想を訊かれた。ドラマを観てないからよくわからないのだ。「まあいいんじゃないの」などと答えれば「もっとちゃんと見て正直な感想を」などという。

 

じっくりとダンスを見た結果、どうも素人の踊りは痛々しくて見てらんないところがある。あれは役者のクオリティがあって成り立っているのかもしれない。恋ダンスを知っていれば、また違った感想になるかもしれないのだけど。思うままに「昔、ドラクエの敵にいた泥人形の不思議な踊りを見ている感じ。見ているとげんなりしてMPがさがるような‥‥」などといえば、恋ダンスグループから散々罵られた。あなた方が「正直な感想を」っていうから、正直に答えたのに。しかもいうに事欠いて「心が汚れているかわいそうな人」とは失礼な。

 

4歳児はといえば「なんで会社にいるのに踊っているの?」と訊いてきた。そうだよねえ。普通、仕事するところなのにねえ。でも、彼らは魔王に呪いをかけられた哀れな泥人形なのです。あれが仕事なのです。かわいそうにねえ。がんばって勇者のMPを下げてください。

 

 

 

▼叔母の見舞いへ。あまり状態がよくない。先週よりもぐっと悪くなったように思える。末期癌の痛みを抑えるためモルヒネを使っているが、そのせいで意識が混濁しているのかもしれない。だが時折、みょうにはっきりした口調でしゃべる。紙コップのコーヒーを飲みたいから買ってきてくれと頼まれる。砂糖を多く入れるようにと指示がある。まだ食べ物についてあれやこれやいえるので大丈夫なのかな。相変わらず医者のいうことは訊かずに好き勝手やっているようで。だが、食欲はかなり落ちている感じがする。物事に対する好奇心そのものが減っているようにも見える。寝たきりでまったくよくならないとわかっている人は何を希望に生きればいいのだろう。

 

特に信心深いわけでもなく、宗教なども信仰してこなかった叔母が「拝みたい」といったのが印象的だった。死が近づくとそういう気持ちになるのだろうか。父も死の間際はそんなことをいっていた。

 

親戚が集まって叔母の家にある物をもらっていく。まだ生きている人の持ち物を、あれがいい、これはいらないなどと選んでいる姿は浅ましい。だが、片付けのために少しでも物を減らしたほうがいいわけで、持って行ってくれたほうがいいのだ。わたしはなぜか菜箸をもらってしまった。もっと他にあるだろうに。叔母は料理が好きなので、ちょっとそういうところも心のどこかに引っかかっていたのだろう。

 

日記を書くと何か救われる気がする。うまく気持ちのバランスを保てるような。そういう力が文章にはある。叔母や親戚の前で間抜けなことをいい続けたいし、いい続けられる強さを持ちたい。ああ、そうか。拝みたいというのは、こういう気分なのかもしれない。