玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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寒い

▼親から頼まれていた年賀状印刷。ここのところ毎年まったくミスなく印刷していた。今年はプリンタを買い換えて印刷スピードも速くなり快適。調子に乗っていた。連続印刷を指定してトイレから戻ったところ、50枚の印刷ミスのハガキが出来上がっていた。とても初歩的なミスでハガキを逆にセットしていたのだ。宛名面は問題ないが、裏面が逆さまに印刷されている。

 

また宛名面から刷り直しである。刷り直しも面倒だが郵便局に行って交換してもらうのが面倒くさいのだった。だいたいですよ、年賀状というのは、ふだん連絡を取れない人々が「元気でやっていますか」という近況確認をする意味があったわけではないか。現代は電話もあればFAXもある。メールだってSNSだってある。年賀状、必要ありますかね。ない。

 

などと言い訳して気づいたが、受験生のときに「イチゴパンツ(1582年)で討ち死に 本能寺の変」などを憶えて「年号ってそもそも社会に出て必要あるー?ないよねえ?絶対ない」と三日に一度ぐらい日本の受験システムに不満をぶつけていたわけである。まったく進歩してない。わたしにはそういうところがある。いつかはまともな人間になりたい。もう手遅れなのだろうか。

 

 

 

ピカソについての話を聞く。ピカソは食事や日用品の購入にも小切手を使っていたという。小切手というのは受け取った相手が銀行に持ち込むと現金化できます。ピカソは生きているうちに作品が売れたので知名度があった。彼の小切手を受け取った相手は、ピカソのサインが入っているから持っておけばもっと価値が出るかもと現金化しなかったり、小切手を額に入れて部屋に飾っておくこともあったらしい。銀行に持ち込まれなければ、ピカソの口座から現金が減ることはない。こうしてピカソはお金を払わずに買い物ができることがあった。

 

一見せこいようだけど、誰も嫌な気分にならずに金を儲けている。何か重要なヒントをもらったような、そんなでもないような、どっちやねんという話ですけども。

 

 

 

▼寒いので心が温まるような話を。

 

映画を観てあれやこれやいうだけの活動。映画部の集まりがあった。他の人たちが買い出しに行っている間、ほとんどしゃべったことのないS君とわたしのみが残された。気まずい。同棲してもう長いというS君の彼女の話を聞く。二人の間では、食事を作るときはメニューを提案したほうが作らねばならないというルールがある。でも、食べたい物があっても作るのが面倒くさいときがある。そんなときS君の彼女は、たとえばそれがカレーなら、カレーの箱を持ってくる。言い出したら作らないといけないので、無言でカレーの箱を持ったまま、S君の周りで踊ったり、寝転がったりするという。

 

「その様子がものすごくかわいいんですよ~」ってオイ、なんだこの話、聞かなきゃダメか。

 

スマホに撮りためたいろんな写真を見せてもらう。彼女の写真や、彼女のご両親、実家の写真はまだいい。

「これね、彼女の実家の隣の家の犬小屋」

もはや犬ですらないという。それよく人に見せる気になったなあ。さらに、このあと20分ほどのろけ話を聞かされた。前世、わたしがどこかの国の専制君主で、しばしば罪のない人間を面白拷問で殺したりしたのかもしれない。これはそのときの報いではないか。

 

買い出しに行った人たちが戻ってきてようやく解放された。隣席のTさんが小声で「彼女の話聞きました?」と訊く。うなづくと、「あの話を毎回されるのが嫌でみんな逃げてるんですよ~」という。なら、なぜわたしだけを置き去りにしますか。

 

「Sさんて彼女と別れてもう5年ぐらい経ってるのに」というTさんの言葉に驚いた。そういえば、彼が見せてくれた写真は最初のうちこそ彼女や彼女の両親が写っていたが、途中から人はあまり写らなくなった。彼女の実家や会社もみょうに遠くから撮っているような不自然な角度のものが多かった。そのことに気づき少しだけ寒気がした。

 

どうでしょうか、温かい気持ちになっていただけましたでしょうか。