玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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人目

▼打ち合わせ。50歳を超えている方から、アイドルの魅力について熱く語られる。50歳を超えてアイドルを追い続けるという心境はどういうものなのだろう。中高生だったら、あわよくば付き合いたいとか、そんな夢のような妄想を抱いていても微笑ましい。50歳を超えていると、これは娘の成功を祈る親の視点で見ているのだろうか。勝手に娘て。それもなんだかという話ですけども。

 

アイドルの地位の低さや、楽曲自体の魅力を語られたが、どうも語れば語るほどというのを感じる。50歳を超えてアイドルを追いかけている自分に負い目を感じるからこそ説明過剰になるのだろうか。「好きだから」でいいのに。思えば、これはわたしにも通じる。アニメを観て感想を書くときに、どこか「偏見なくいいものはなんでも観ようと思っているんです」と匂わせるような。やかましいという。ただ「好きだから観てる」でいいのに。

 

何か重要なことを教えてもらった気がする。何かを好きというのは誰に言い訳する必要もない。でも、どこか人からよく見られたい想いがあって、うっかりするとそんな気持ちが出てしまう。どうしたらこの呪縛から抜け出せるのだろう。「好きだから観てる」というシンプルさすら「言い訳をしない人」として見てもらいたい感情があるのではないか。人目を気にせずに生きるにはどうしたらいいのだろう。

 

全裸で街中を徘徊するとか、まずは自分のできることからやっていきたい。でも冬だしなあ。

 

 

 

▼打ち合わせ後、喫茶店でN氏からアメリカ大統領選について語られる。語られてばかりの日である。わたしはそうだったが、みんなもそんなにアメリカ大統領に興味はなかったと思うのだけど急に語るなあ。

 

N氏の主張はともかくとして、ドナルド・トランプ氏のことをトランプではなくドナルドと呼ぶのがとても気になる。「ドナルドがいいたいことってさあ」などといわれると、おまえは知り合いなのかと思う。お笑い芸人のキングコング西野さんがウォルト・ディズニーをライバル視して「ウォルト、あいつはおもろい」などといっているのを思い出した。

 

細かいところまで計算されている。誰もがわかるディズニーではなくウォルトと呼んでみせる巧妙な釣り針の垂らし方。つい「知り合いか」といいたくなる。本人はとっくに亡くなっているから多少ひどいことをいっても傷つけないし、本気で怒る人もいない。「またおかしなことをいっている」と取り上げてもらえる絶妙なライン。運が良ければ炎上も狙える。頭のおかしい人のようでいて、本当におかしかったらこんなきわどいラインで踊れない。世間が自分に何を望んでいるかわかっている。見事なビジネスキチガイっぷりを感じる。

 

そこへいくとN氏は本物なのではないかと思えて怖くなる。最初はドナルドといっていたが、最終的には「ダニエルが」となり、間違いに気づかずダニエルが、ダニエルがと得意げにいい続けていた。うるさいのでアイアンクローをして黙らせた。おっさんがおっさんにアイアンクローをする11月中旬。