玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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気まぐれコーヒー

▼米ナスとベーコンをオリーブオイルで炒めて、塩・コショウ・バジル・ニンニクで味付けしたものばかり食べている。おいしいなあ、米ナスとベーコンをオリーブオイルで炒めて、塩・コショウ・バジル・ニンニクで味付けしたものは。長い。米ナス・ベーコン炒めにしとくか。

 

名前とは人に伝える必要がなければ、なくてもよかったのだな。わりとどうでもいいことに気づく秋。肌寒し。

 

 

▼「映画の感想」というブログもやっているが先日見たらデザインが崩れていた。サイドメニューがずっと下の方に移動してしまった。こちらではどこもいじってないので、運営のほうでソースをいじったのだと思う。でも、崩れたままというのも気になる。「これは、こういうサイトなのである」と自分を説得しようとしたがやっぱり直したい。

 

せっかくだから新しいテンプレートを選んで新デザインにした。今日、ためしに旧デザインに戻したら正常に表示された。ほらー、やっぱりソースいじってんじゃんかあ、ほらー。そんなものである。でもせっかくなので、しばらくは新デザインでいく。そもそも一日に二人ぐらいしか来ないから、新も旧も関係ないといえばそうなんだけど。

 

 

▼家電を作っていた人と、WEBサービスの人を比べるとやはり家電のエンジニアのほうに厳密さを感じる。家電は販売してしまえば終わりで、発売後に不具合があるとわかったら莫大な費用を負担してリコールするしかない。取り返しがつかない。WEBサービスはすぐに手直しができる。WEBは仕事の速度が重要で、バグが出たら直せばいいと思っているところがある。

 

これは、WEBのエンジニアがいいかげんというわけではなく、常にサービスを拡充していかなければならないというWEBの性質上、仕方のない部分もある。常にサービスを拡充するということは、常に新しいバグを生み出し続けることでもあるので。なにか、擁護するようなことを書いてしまった。誰に気を遣っているのか。

 

Eさんという人は家電製品を作っていたエンジニアである。彼はとても仕事が厳密で性格も気難しい。それだけでなく変人である。だが、エンジニアというのは変人のほうがいい仕事をする。変人でも能力が高いから周囲に許されてきたのだろう。仮に変な部分を直すと、彼らの長所までなくしかねないように思うのだ。

 

Eさんとコーヒーを飲みに出かけたとき「店主が淹れる気まぐれコーヒー」という貼り紙のあるコーヒー店を見つけた。貼り紙を見つけるなりEさんの機嫌が悪くなった。まず「気まぐれ」が何を指すか厳密でないのが気に入らないという。店主お薦めのコーヒーが毎日気まぐれに選ばれるという意味なのか、出てくる商品は同じだが店主の淹れ方によって毎回味が違ってしまうことをいうのか。たしかに二つの意味がある。後者の場合「店をつぶす」と怒っている。おまえになんの権限が。

 

Eさんは言語の厳密さについて気にしている。どちらの意味にでもとれるということは許されない。プログラムのすばらしいところは解釈が一意であるといっている。人が話す言葉は意味がいかようにもとれるから、嫌いなのだ。こういう理由で人間嫌いになっている人もいる。珍しいとは思うけど。

 

Eさんは、店に入って「気まぐれコーヒー」とはどういう意味か確認する、といいだした。面倒くさい人だよ。わたしにも「今、面倒くさいと思っただろ?思っただろ?」と詰め寄ってくる。たしかに面倒くさい、そういうところが。

 

で、店に入って「気まぐれコーヒー」の意味を訊いた。貼り紙は、この店の前の店主が書いたもので、その人はもう亡くなっているということだった。でも、今の店主はその人にずいぶん世話になっていて、その人が書いた手書きの貼り紙をはがすのもさびしいので、そのまま貼ってあるという。今は気まぐれコーヒーというメニューもない。

 

Eさんは満足したようだ。「はっはっは。ほら、現実というのは我々の想像を易々と超えてくる。こういうことだよ」

 

「こういうことだよ」じゃないわ。さっきまで「こんないいかげんな店はつぶす」と怒っていたくせに。変人と仕事をしている。