玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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やめる

▼Magic Duelsというカードゲームを熱心にやり続けていたけどやめた。際限なくやってしまうからです。このゲームが子供の頃にあったら危険だった。中学生の頃は、ゲームをやり続けてコントローラーを握ったまま寝てしまい、朝目が覚めてその続きをプレイしたこともあった。

 

そこへいくと、大人というのは自主的にゲームをやめることができるから偉い。たった300時間で気づくことができるから偉い。300時間て。アホか。プレイ時間みたときゾッとしたわ。何も進歩していない。もう、わたしはMagic Duelsは金輪際やらない。代わりにペルソナ3フェスをやろうと思います。どこかいい病院はないものか。

 

 

 

▼25年ぶりに広島カープが優勝。広島というと、名選手が多いけどケガで苦しむ選手(前田、江藤、野村とか)が多い印象だった。今年は戦力が揃ったなあ。圧倒的な強さだった。わたしの応援する中日は、阪神との熾烈なビリ争いをしている。悲し。来年は成長著しい杉山、小笠原などの若手に期待したいところ。

 

近所のスーパーではさっそく「広島カープ優勝おめでとうセール」を始めた。ここが関東だろうがなんだろうが関係ない。「カープの赤で、マグロの赤身が安い!」と宣伝していた。去年の今頃、このスーパーは「ヤクルト優勝おめでとうセール」をやっていた。この魂の売り渡しかたは、いっそすがすがしい。参考になる。世は便乗なのだ。

 

一緒に仕事を請けているN氏はスポーツにはいっさい興味がない。当然、野球も観ない。いい大人がボールを投げて打ってどういうつもりだ、といっている。だいたいのスポーツは、いい大人がわけのわからぬことに必死になっている。でも、遊びっていうのは本来そういうものじゃないかしら。犬がフリスビーに夢中になったり、カラスが線路に置き石をして石が電車に飛ばされるのを見たり、頭がいい動物ほど遊び好きなものだ。知性が高度になればなるほど遊びは複雑化していく。だとすると、わけのわからぬみょうな遊びに熱中するというのは知性のあり方として喜ばしいのではないか。

 

遊びとか芸術は役に立たないといわれるけども、心の無聊を慰めたり、感動させたりするのはやはり重要に思える。人生の無常さや退屈さへの抵抗で、遊びや芸術が発達したとすれば、これらは人の最終的な目標になりうるのではないか。いくとこまでいくと脳に電気刺激を与えて、感動したり気持ちよくなったりすることが流行るのかもしれない。椅子にだらしなく座って、口からよだれを垂れ流しながら「あへあへ」いっているのが人として正しいのか、いくらすばらしい体験をしているとしてもあんまりみっともないんじゃないのか。これを受け入れるかどうかねえ、ちょっと悩んでいるんですよ。でも楽しいんだろうなあ。だけど、それは人としてあんまり‥‥、いやでもなあ‥‥。なんの話でしたっけ。