玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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癒す

▼台風が来て気候が不安定。ゲリラ豪雨に遭う。しかし、もう「ゲリラ」って死語のような気がする。いつかはテロ豪雨とかに改名するのだろうか。

 

会長が役員をやる句会のお仕事を手伝いに。この暑いのにボランティアとはわたしも偉い。来世、なにかいいことあったらいいな。神様、来世こそは美人の天文学者でお願いします。今回はもうしょうがないから、これでいくけどさあ。

 

しかし、句会のメンバーは元気な老人ばかりだった。夏だからなあ、ポックリいってもかまわないのだけど全然そんな気配がない。わたしのほうが先にいきそうな予感。メンバーの一人が女子アナとご飯を食べたと言っていた。どういう流れで食事をしたのだろう。

 

「あの子たちな、ほんとにちょこーっとしか食べないのな。病気の小鳥と同じぐらい」

 

だそうです。今日知った有益な情報はこれのみ。有益‥‥。

 

 

▼「癒される」や「癒し系」という言葉が定着してずいぶんたつ。子供の頃は本来の意味である「傷が癒える」という使い方のみだったと思う。優香がでてきたとき、癒し系アイドルという売り方だったのを憶えている。新しい使い方の「癒される」は、昔風に言い換えれば「心が和む」などだろうか。

 

昔も「心が和む」という意味での「癒される」と同様の概念や感情はあったはずで、まだ「癒される」というピッタリした言葉が発見されてなかったのだろう。ちょうどよく「癒される」が見つかって共感を得て定着した。こういうことってまだたくさんあるのだろう。概念や感情は存在していて、そこにまだ名前がついてないという。

 

流行を作り出す人は、この名前がついてなくてフワフワと漂っているものを見つけ出すのがうまいのだろう。名前が付くことによって、はじめて一般人は認識して共感できる。福沢諭吉が「自由」という言葉を翻訳するまで日本には「自由」という概念がなかったのかというのは有名な話である。優香ではなく諭吉を例に出せば良かった。

 

優香について検索したら「元癒し系アイドル」と書かれていた。「元」っているー?そこは「元」はなくてもいいんじゃないでしょうか。ネットの厳しさよ。優香はもう癒してくれないのか。