玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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騎馬戦

▼運動会の季節。いつの間にか秋ではなく、梅雨前にやることが多くなった。お世話になっている会社の部長も、子供の運動会に行ってきたそうである。部長のお子さんの学校では、今年で騎馬戦がなくなると言っていた。なくなってしまうと聞けば何か寂しい。

この世は、馬になる者とその馬に乗る者に分かれる。馬に意思など必要ない。上に乗る者が指し示す方向に、ただ進めばよい。たとえその先が断崖絶壁であろうと。上司が白と言えば、黒も白と言わねばならない。子供の頃から、馬になる者と馬に乗る者を徹底して振り分けることで序列というものを意識に刻み込むのだ。生き馬の目を抜く競争社会に騎馬戦は欠かせなかった。だが、子供にそんな現実を突きつける必要があるのか。そんな序列は社会に出てからで十分じゃないか。わたしは騎馬戦廃止の判断を歓迎したい。

部長に廃止の理由を訊けば「危ないから」と言う。そっちかー。そっちの理由かー。

そっちしかないわ。狂人かよ。なんだよ序列って、気持ち悪いわ。だが、そんなわたしは今日も部長を背に乗せ、社会という荒野を駆け巡るのです。どうせなら、こんなメタボのおっさんではなく、スカーレット・ヨハンソンを乗せたかった。なんだろうね、この日記。

▼ここ一か月ぐらい、熱心に映画の感想を書いてきた。書いてきてわからなくなったのは、面白かったことをただ面白かったと書くことに意味があるかということ。真理、原則、豆知識などが入っていればまだ読む価値はあるのだろうけど、はたしてただ「顔が面白い」みたいなことを書いていていいのかしら。いくない。

いくないことに気づいてしまった。でも、書いていて自分が面白いうちはまだいいのかな。それに共感というのは、一応の意味にもなることだし。あまり意味や理由を突き詰めていくと書けなくなってしまうように思う。この日記も意味なんて存在しないわけだから。

ちなみに、カツラを焼くとダイオキシンが発生するため、火葬のさいにはカツラをはずさなければならない。ハゲは必ずばれる。豆知識、やたらに放り込めばいいってものでもない。