玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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朝礼

▼夕方から偏頭痛。三か月に一度ぐらいの割合でなる。目の使いすぎが原因なのかしら。もはや何もできぬ。この症状を改善させるため、わたしにできることは何か。そうです、この日記を書くのをやめることだけ。

▼交渉術(佐藤優)

交渉術といっても、これを読んで交渉がうまくなることはない。そもそも交渉について取りあげた本ではなく、外務省、対ロシア外交、政治家評について書かれている。表題と内容が掛け離れているものの、面白いから良いと思います。ずるいなあ、もう。

政治家や官僚の生態について見事に書かれている。出世は官僚の職業的良心、政治家の動機は名誉か利権など、その行動原理を厳しく喝破する。だがそれだけではないようにも思える。元外務官僚である著者の根底には国を想う良心が垣間見える。杉原千畝氏の名誉回復問題について鈴木宗男氏を描いた部分も、鈴木氏の政治家としての信念を感じた。魑魅魍魎が蠢く伏魔殿のような政治の世界でも、それでもなお最後は赤心こそが人を動かすとすれば、なにか希望のようなものを感じる。

ちょっとトリビアのようなことを書けば、ハンガリーのブダペストには殺し屋がいて、安ければ5000ドル、最高でも30万ドルで殺しを請け負ってくれるとのこと。ほんとにいたんだー、殺し屋って。実のところ、この本を読んでもっとも驚いたのはそこだった。北方領土返還が失敗するまでに何があったかとか、いろんなこと書いてある本なのに。

▼偏頭痛で集中力が出ない。こんな日は、何か心温まる話が良いのではないか。

友人の勤める会社では朝礼があるという。司会の人は、周囲がざわついていると朝礼を始めない。静まったあとに「皆さんが静かになるまで2分かかりました」などと言うそうである。中学校のようだ。社会人がざわついているのも問題だが「今から朝礼を始めます」と言えば、静かになると思うのだけど。

中学時代、朝礼か何かで体育館に集まったとき、クラスがざわついていたことがある。先生は私語を注意せず、生徒が自主的に静かにするのを待っていた。普段は気の短い先生で「おい、おまえら、静かにしろ」などと言うのだがその日は違った。テレビの学園ドラマの影響でも受けたのか、はたまた職員会議で何か指導があったのか。「はい、皆さんが静かになるまで15分かかりました」と言った。

わたしは列の先頭におり、私語もせずに話が始まるのを待っていた。だが、気の短い先生が、いつもと違って似合わぬことを言ったので「ははっ」と笑い声をあげてしまった。その時だけはなぜか周りの私語が収まり、わたしの短い笑い声だけが響いた。次の瞬間、先生の豪快なビンタが飛んできた。むかついたのであろうよ。

いや、でもですね、生徒の自主性にゆだねて注意しないで待つという方針だったではないか。そこをいきなりビンタしたら元も子もないでしょうよ。わたしをビンタしたあと平然と「はい、静かになるまで15分かかりましたよ」と続けたが、今クラスが静かなのは、わたしをビンタしたからだからな。生徒の自主性ではない。そこを誤解するな。

先生はお元気だろうか。先生からは人の理不尽さを教えていただいた。先生のことを陰で「神様が、ゴリラにするところを間違えて体育教師にしたパターン」などと呼んでいたが本心ではない。神ゴリ様と呼んでいたが本心ではない。神ゴリ様、お元気でしょうか。わたしは偏頭痛で、こんな日記を書いています。