玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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管理人、機械のアナウンサー

▼プリンターを粗大ゴミとして出した。粗大ゴミは大きさに応じて料金がかかる。マンションの管理事務所で粗大ゴミシールを購入した。マンションの管理人のおじさんがねえ、本当に丁寧なんですよね。「大変お待たせしました」と恐縮した様子で応対される。ちっとも待ってなどいないし、わたしの顔面に粗大ゴミシールを貼るわけでもない。いい人だなあ。

昭和の頃の管理人は、もっと横柄だったのを憶えている。老眼なのか、顎を引いて上目遣いで「なんの用?」と不機嫌に訊かれたものだった。あれ? わたしはこの人に何かしたっけ? 残り少ない毛を面白半分に抜いたりしたのだろうか、抜いたかもしれない、などと思わせる無愛想さ。

それを考えると恐ろしい。何が恐ろしいって、わたしがもし管理人をやる場合、今やとんでもない丁寧さが求められるということですよ。居住者に「なんの用?」などと言った日には、即、管理会社に連絡が入るであろうよ。もっと普通の対応でいいんだけど。わたしに粗大ゴミシールを貼っていいんだけど。丁寧なサービスが増えて嬉しくもあるが、自分が逆の立場になったならと思うと怖さも感じる。

▼すべての男がSEX以外に考えていること(シェリダン・スモーヴ)

この本は中身が一秒で読めるので、是非リンク先で中身を確認してほしいです。わざわざこういう本を作るのが偉いなあ。バカですねえ。

▼不毛な打ち合わせだった。不毛を有毛に変える力はわたしにはなかった。というか、有毛って言葉あるのだろうか。ありました。オオアリクイやナマケモノは有毛目とのこと。なるほど。

休憩が入ったときに帰ってればなあ。そうすれば傷は浅かった。3時間も不毛な会議に費やすことはなかったのに。あれがなければ「まだベッキーを復帰させるのは早い!」ってテレビ局に電話しまくる時間もあったのに。それだけが心残りです。

▼「あと5年もすれば人間の仕事はどんどん機械にとられるよ」。知り合いのエンジニアがそう言ってから5年以上経った。正直なところ、まだそんなでもない。これからどんどんとられるのだろうか。

アナウンサーの仕事は、ソフトを改良すれば初音ミクのようなソフトで置換可能なのかもしれない。キャスターのように自分のコメントを言わず、あくまでニュース原稿を忠実に読むだけならという話ですが。その気になればできるのではないかと思う。ただ、そうしたときに人間が読むニュースと機械が読むニュースを視聴者が選ぶことになる。

実際の人間と見まごうほどのCGを作って、人間と見分けがつかなくなった場合、人間の読むニュースにどれぐらいの価値があるのだろうか。正確さだけを求めるのなら機械に軍配が上がる。ただ、言い間違えたり、噛んだりしたときにこそ、ちょっと人間味を感じるのも本当なのだ。しかし、それもランダムで間違いが発生するよう確率設定をすれば、間違いを作り出すことはできる。

まったく人と見分けがつかない機械のアナウンサーができたとしたら、それでもやはり人間のアナウンサーがいいとなるのかな。それとも予算の関係から、徐々に置き換わっていくのだろうか。置き換わるべきところは置き換わったほうがいいのかもしれない。何十人もの奴隷を鎖で繋いで船を漕がせたとして「やっぱり船は人間に漕がせるのが一番! 機械とは違うなあ」とはならないからである。

そこで奴隷とかなると、また話がずれるようですけど。

人とまったく見分けがつかない機械のアナウンサーが出たとき、視聴者はどちらを選択するのだろうか。画面の向こうにいる者が「人であること」にどれほどの意味が存在するのだろうか。