玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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年をとれば丸くなる

▼360度撮影可能な天球カメラでの熊本地震のニュース映像。左上の矢印をクリックすると全方向見られます。自分の見たい方向を自由に見られるのがすごい。ニュースもいずれはこういった形になるのでしょうか。ただ、映画などでこれを採用すると、物語にとって重要な鍵を見逃したりしそう。人間の視野は後ろはカバーできないので。すると、ゲームなどとの相性のほうがいいのかな。楽しみな分野。

▼「年をとれば丸くなる」と言うが、あれは嘘ではないか。年をとれば、先がないからどんどん気は短くなる。自分より偉い人間もいないから、やりたい放題である。会長に頼まれた句会関連のお手伝いをしていて、お年を召した方と話していてそう思う。もう、あのね、みんな仲良くして。

思うに「年をとれば丸くなる」というのは昔の言葉なんじゃないかしら。平均寿命が短くて、それこそ65とか70ぐらいで亡くなっていた頃の話。たしかに65才ぐらいの人は丸い気がする。もう出世も関係なく、そんなシャカリキになることもない。あとは定年をのんびりと待つのみだ。こちらが何か失敗しても、いいよいいよの精神というか。それがですね、70を超えたあたりからちょっと依怙地になってくる感じがある。

80になると好奇心が衰えて、もう自分の関心のあることしか話さないし聞かない。わからないのかもしれない。同じ話を何度もするのも当たり前で、やんわりとその話は前にも聞いたと伝えても、それでも止まらないのだった。抑えが効かない感じがする。たしかに人間は年をとると丸くなる。しかし、そのあと再びとがり出す。とがったらもう手がつけられない。手あたり次第に刺しまくる。刺されてイタイイタイのわたしがいる。

しかし、これが未来の自分の姿であろうと想像するとあまり邪険にもできぬ。やはり、どんなに優秀な人でも衰えは避けられないのだろう。年をとっても判断力だけは落ちないというが、あれも怪しい。振り込め詐欺にひっかかるのも大抵老人だ。もちろん、振り込め詐欺のターゲットが老人であるのはわかっているが、それでも若ければやはりひっかからないように思う。

本当にねえ、うまく老いるのは難しいのだろう。そんな話を、友人夫婦の子であるター坊(中学一年)にした。彼は黙ってわたしの話をうんうんと聞いてくれた。よくできた子である。あれ、ひょっとしてこれはわたしの介護かな。あいつ、ボケかかってるから話聞いてあげよという。ありがたい。おじいちゃん、飴持ってるけど食べる?