玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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読まないし観ない

▼仕事帰り。春まだ肌寒し。夜はマフラーがないとつらい。

家の近所では、ごくたまに白黒のぶち猫を見かける。そこそこ人懐こく、近づいても逃げない。表情に険しさもないし完全な野良猫ではないのかもしれない。前脚をぴんと張り、すらりと背を伸ばし空を見上げていた。猫の視線の先には夜の曇り空があるだけだった。すると、雲間から金色に輝く月が突如、姿を現した。満月ではなく八分ぐらいの大きさだったが、実に瑞々しい鮮やかさだった。

猫は感嘆したように月に向かって一鳴きした。人間でいえば「やあ! 実に見事な月」とでも言うところだろうか。猫はわたしの姿に気づくと、きまり悪そうな様子で茂みに入っていった。誰だって、油断しているところを見られるのはきまりが悪いもの。しかし、あれはたしかに見事な月だった。



▼映画「ホビット 決戦のゆくえ」をレンタルして観た。映画については今更何も言うことはない。映画の中の映画、これほどワクワクさせてくれる作品は他にはない。三部作の最後とあって戦い目白押しで、ずっと戦ってますね。それでも飽きない。しかし、魔法使いのガンダルフやサルマンは、相変わらず魔法を使わず杖で敵をぶんなぐるのです。魔法ってなに。

映画の感想はさておき、一緒に映画を観た友人Nはまったく映画を観ない人間だった。映画も観なければ小説も読まない。観ても面白くないし、なんとも思わないらしい。それらは「全部、作り物だから意味がない」と言われて、なるほどと思った。

だが、すべてが作り物だから価値がないということになるのだろうか。そもそも人の想像力には限りがあって、頭の中ですべてを作り上げるのは無理なように思える。どこかで自分の得た真理や経験が入り込まざるを得ない。自然、作り物の中に真理は存在するとすれば、やはり作り物にも価値があるのではないか。人生を潤すために芸術が存在する余地はあるのではないか。第一、面白ければそれだけで十分だし、そこにこそ価値はある。

「意味がない」という、友人Nの言葉を聞いて思ったのは「さては、おまえ、モテないな」ということだった。たしかに友人Nはモテない。しかし、そう思ったわたしもモテない。どちらにも正義はない。なんだこの話。
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