玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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ぶれる

▼夕方、本屋まで散歩。灯油販売車とすれ違う。灯油独特の臭気を感じる。灯油販売車の後ろには小学生ぐらいの子供が三人いた。「すっげーいい臭いする!」「灯油、いい臭い!」「待ってー」などと言いながら、灯油販売車の後ろを追いかけて行った。清々しいバカを見た。久しぶりに、いいバカを見た。



▼仕事を請けている会社へ。珍しく隣席のTさんが目に涙を溜めて怒っていた。話を聞けば、営業のEさんのことだった。「急ぎで」と頼まれていた作業が急に変更になったらしい。口にしたことがすぐに変わるので、あんなにぶれるのなら仕事にならないと怒っている。

ぶれないというのはいいことみたいだけど、ぶれてもいいんじゃないだろうか。最初から結論が見えているのが一番いいが、実際はそうもいかなくて、やってみたら「こっちのほうが良かった」ということは多々ある。間違っていると思いつつ強引に進めるより、素直に訂正するのも大事ではないかしら。

ぶれる、ぶれないは言葉の問題にすぎなくて、重要なのは正しい結論である。ぶれたと言われれば「その時点ではそう思っていたわけで、どうもすみません」と言うしかない。わたしが書いた日記でも、過去のものを読むと、今とは考えが違うものも多い。だけど、書いた時点ではそう思っていたのだから仕方がない。

むしろ、読んで「拙い」とか「これは違う」と思うのは、過去より成長しているとも言える。この変化も「ぶれている」と言える。そんなわけで、Tさんに「『ぶれた』というのは『ぶれる前』より成長していると捉えられるので良いことだと思う」と伝えた。だが、Tさんは納得いかないようだった。

翌日、営業のEさんに会ったとき「この前、頼んでたアレ、なくなったから」と言われた。席に帰って来たわたしの顔を隣席のTさんが嬉しそうにのぞき込んでくる。

「どうですか? 『明日まで超特急で頼む』って言われてたのが急に『なくなったから』で済まされる気分は? ぶれられた気分は? ねえねえどう?」

かましいわ。まあ、ぶれてもいいとは言ったけど程度があるのではないか。昨日「超特急で」って言っておいて、今日「なくなった」は駄目じゃんかあ! この世には許してはおけない悪がある。

話し合いの時間は終わった。人はわかりあえぬのである。結局のところ、紛争の終局的解決は暴力しかない。頭にきたなら三回までは殴っていいと法律で決められているんだ。
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