玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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修行の日々

▼コンビニのシュークリーム美味し。100円でここまで美味しい。この前、並ばないと買えないケーキ屋で1000円ぐらいのケーキを買ったが、1000円の物がコンビニの100円シュークリームより10倍美味しいということもない。べつに100円でもいいんでないのと思う。

思えば、商品の最低水準がずいぶんと上がった。服にしろユニクロや無印良品でも十分だし、ご飯も松屋や吉野家でも満足できる。そうするとたまに贅沢をするとしても、ふだんは安いところで十分となる。ニュースをみていると個人消費の落ち込みという言葉を耳にするが、商品の最低水準が上がれば、そりゃ人は安いほうを買うから個人消費は落ち込む方向に行くのが自然に思える。これからもどんどん落ち込むんではないか。そもそも欲望の欠如というものを感じる。欲しいものがたいしてないのだ。

この前、市川崑監督の「私は二歳」という映画を観た。高度経済成長期の子育てを描いた物語だが、主人公夫婦の元に田舎から姉がやってきて、冷蔵庫を買うための借金を申し込む場面がある。「子供たちに冷たい水を飲ませてやりたい」というようなことを言っていて、そういう時代だったのだなとみょうに感心した。

当時はたしかに冷蔵庫がないと、冷たい水など飲めないのかもしれない。冷蔵庫、テレビ、洗濯機、エアコン、マイカーと、高度経済成長期は生活を変えるような商品がどんどん暮らしに入ってきた。こういう時代は消費が楽しかったに違いない。豊かになっていくさまを実感できる。ここ二十年ほどをみると、生活を変えるようなものって、インターネットぐらいしかないように思える。もちろんパソコンと携帯電話の存在は大きいが、やはりそれもネットとの相乗効果があってこそ威力が発揮される。

で、若い人たちはそんな生活を変えるような商品が出そろってから生まれている。高度経済成長期を生きた人は、生活を変えるような商品を強く欲しがっただろうけど、今の人は当たり前に物が揃っているため、それほど欲しいものがないんじゃなかろうか。もうだいたいわかってるというか。むしろ、所有しないこと(在庫の管理、保管をしなくて済む)が贅沢になっている。断捨離やダイエットなどをするのもよくわかる。

消費という欲がなくなると、今度はその欲は何かにシフトしていくのだろうか。わたしは何が欲しいのかわからずにいる。そう思いながら、今日もゾンビを撃ち殺しました。



▼今日も今日とて「ROMERO'S AFTERMATH 」をやる。しかし、日本人がいないゲームである。孤独。理由はわかっていて、このゲームあんまり面白くないしなー。修行としてやっている。

見晴らしの良い景色です。今日はブルーフィールドエアポートというゾンビがわさわさいる空港に行ってみます。



着きました。設計図がそこそこ落ちているのですが、今一つ使えないのばっかりなのだ。斧の設計図どこなのかな。チョコレートスムージーばっかりある。あまーい! って、のんきだね、オイ。



好戦的アメリカ人(英語を話していただけで本当にアメリカ人かは知らん)がいて、殺されかかる。怖いです。「Hey you!」などと言いながら、わたしに向かって銃を撃って来る。このゲームは、出会った人が好戦的か平和的か、一瞬で判断しなければならないところで、その危うい空気が面白いのかも。

わたしは銃を持ってないのでよく殺されかかる。そんなときお薦めしたいのがフラグボムという道具。これは相手にダメージを与えないのですが、派手な爆発音を出す。これを相手の周囲に投げつけて、爆発音に集まった大量のゾンビに殺してもらうという使い方ができます。本当は、ゾンビの注意を違う方に向ける道具だろうけど、そんな正しい使い方なんかしてられるか!

ということで好戦的なアメリカ人を倒した。あちらに集っているのがゾンビのみなさん。



どうもこのゲームをやってると人間が荒むような気がする。もうやめようかと思います。



あと、いまだにかまどに火がつけられない。どうすんのかな。うーん、イロハのイがわからないまま、なんだか生きておるよね。人が起こした火をもらいながら生きております。
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