玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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テレワーク

▼伯母は85歳。そろそろである。そろそろなんだよなあ。

先日、伯母が眠りにつこうとしたとき、(ああ、意識が遠のいていく。このまま死んでしまうのか)と思ったまま意識を失ったそうである。この話ができるということは、翌日ふつうに起きたからで、だからそれはただ寝ただけじゃないのかと思った。だけどですよ、わたしたちが寝るとき、いちいち(意識が遠のいていく)などとは思わず、ストンと眠りに落ちる。

ということは、それは本当に「そろそろ」という予兆なのだろうか。うーん、でも、伯母ちゃんねえ、かなり適当な人だからなあ。それは歳をとったとかそういうことじゃなく若い頃から適当なんだよ。


▼仕事をもらっている会社へ。社員の一部をテレワーク(PCなどを使用した在宅勤務)にし、やがて大部分をテレワークに移行したいという話を聞く。介護、育児、体調不良、妊娠などいろいろありますから、テレワークで働けるのもいいだろうなあ。わたしのような単なる怠け者にもありがたい。テレワーク万歳。でも、実際に会社をテレワークにしたらうまく機能するのだろうか、少し怖くもある。

だいぶ前に元衆議院議員石川知裕さんの著書「悪党 小沢一郎に仕えて」を読んだ。この本でもっとも驚いたのは、小沢一郎の秘書になるとき住み込みで働くんですね。住み込みというと、落語家や料理人の修行を思わせるが、もうこういった職業でも住み込みは減ってきていると聞くけれど、まさか政治家(小沢さんのところだけかもしれないけど)が住み込みだとは思わなかった。

石川さんが賞味期限切れのレトルトカレーの袋を捨てたところ、ゴミ箱からそれを見つけ出した小沢さんに注意されたという。賞味期限切れという表示で判断するのではなく、実際に食べられるならそれでいいじゃないかということだろう。そんで、小沢さんがゴミをチェックしているマメさにも驚いた。

知識というのは本やネットを使えば一人でも得られる。だが、人を見ていて気づくことがある。或いはそのとき気づかなかったとしても、人の振る舞いを見ておくことが自分を作り上げることに繋がることがある。

住み込みというのは、幼い頃から自分の空間があって快適に育った人間にはつらいだろう。だが、それでも自分には理解できない人の振る舞いを観察したり、同じ空気を吸うことには意味がある。何も教えてもらえなかったとしても振る舞いが多くを語る。振る舞いこそが考え方そのものなのだ。

テレワークになれば観察の機会が減る。仕事としての効率は上がるかもしれないし、不快なラッシュに巻き込まれることもない。だけど、自分には判別できないもの、理解できないものを見ておくことも大切なのではないか。じゃあ、若い人はテレワークはなしで中年以上はテレワークでいいかというと、そうもいかない。若くても年老いても、やはり観察は必要だし、中年が若い人を見て気づくこともある。

などとねえ、楽をさせてもらってテレワーク状態のわたしが言うのもなあ。本当にどの口でという話ですけども。部分的な導入にはもちろん賛成である。なにせテレワークは快適ですからねえ。だけど、快適さが人を殺すこともある。



実に迫力のある顔面。いいお顔。