玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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初雪

▼初雪。今年は暖冬だったが、ここ数日急に寒くなった。東京は10センチも雪が降ると、すぐに交通機関が麻痺する。みな文句を言いつつ、どこかその脆弱さを喜んでいるところがあるような。都会に住んでいることの自慢というか。わたしのひがみだろうか。なんだよー、都会ぶっちゃってさー。どうせ、うまい棒とか食べて育ったくせにー。

わたしの住んでいるところは東京とはいえ草深き山奥。畑が広がりハクビシンが出て、子供に怪我をさせることもある。もう少し奥まで行けば槍を持ってピョンピョン飛び跳ねている人もいるし、やがてライオン狩りを始める。まあ、そんなところに住んでおる。



▼仕事を頂いている会社に行く。女子大生バイト後輩ちゃんから旅行土産のお菓子をもらう。「年末にサウスケンジントンのおばのところに行ってきたのですが」って、すごい。ただごとならぬお嬢様感。わたしは生涯「サウスケンジントンのおば」と発音することはあるまい。「新大久保の母」ならありそう。

動揺のあまり「あそこはいい所だよね」などと言ってしまう。
「行かれたことあるんですか?」
「日本から出たことない」
そのときの後輩ちゃんの「駄目だ、この人‥‥」という軽蔑のまなざしが忘れられない。

だが、勘違いするな。その軽蔑のまなざしを、ご褒美だと思う人間がいることを。



▼打ち合わせ。相手の担当者は腕時計が趣味だった。バブル世代で営業の人は腕時計、車、ゴルフが趣味の人が多いのかな。携帯を持ってから時計をしなくなったから、わたしが時計をしていたのは高校時代が最後かもしれない。

わざわざお金を払って、重い物を一つ身に着ける意味がよくわからなかった。どちらかというと、持たない方が身軽でいいと思ってたのだけど。最終的には全裸で歩きたい。

時計を見せてもらったが、フランクミュラーの時計で300万ぐらいしたという。300万でも安いほうらしい。見ていると、どことなく欲しくなる気持ちもわかる。携帯に時計機能が付いた今、腕時計は完全に富の象徴であり装飾品と化している。象徴というのは実用的である必要はない。むしろ実用的でないものをわざわざ保持していることが象徴としての価値を高める。

だから彼が高級時計をしているのに1時間遅刻してきたことは問題ではない。腕時計の「時間を知らせる」という機能は、もはやおまけ程度の意味しかない。かつてのわたしなら「そんな高い時計して遅れてくるなら、腕にマジックで時計書いても同じだバカヤロー」と影で罵っただろう。今や大人になった。二週間前までなら確実に罵っていた。

ちなみに初雪が降った日ではない。まったく関係なく遅れてくるのだった、満面の笑みで。
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