玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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灯台

▼小津安二郎監督の「浮草」を観た。「浮草」とは、ある田舎町を訪れた旅回りの一座の話。感想については「映画の感想」に書いたものの、ちょっと気になったことがある。冒頭、田舎町の灯台が映し出される。



白い灯台を異なる距離と方向から撮っている。なんでこんなことをしたのだろう。灯台を4つの方向から撮ることで、何を表現しているのか。

小津映画を観て思うのは、人を「善人」や「悪人」と簡単に区別することはできないということである。人はコインの裏表を同時に見ることができない。ある人から見たら表、ある人から見たら裏が見えていたとしても、それはどちらも本当である。人も同じで、同じ人が、ある人にとっては善人、ある人にとっては悪人に映ることがあるかもしれない。

善悪は絶対的なものではなく、一時的状態を表し、それは観察者から観た主観によってしか語られないんじゃないかしら。灯台をさまざまな位置から見れば、それはその角度と距離の分だけ、他とは異なって見える。主人公の駒十郎は、さまざまな面を持っている。息子から見たときの「面白いおじさん」。スミ子から見た「浮気性で、一座をなんとか支える男」。お芳から見た「金を送り続ける義理堅い男」などなど。どれも本当で、どれも違うともいえる。それは、駒十郎と接している当事者にとっての本当でしかない。

これは駒十郎に限らず、人そのものに言えるのだろうけれど。それを小津は冒頭の切り替わる灯台の絵だけで表現したのではないか。恐るべし小津! それとも「灯台をいろんな角度から撮ったんだけど、これ面白くない?」というだけかもしれない。こっちが正解のような気もする。じゃあ、この文章はなんなのだ。どうしてくれるんだ。
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