玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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借家

▼焼いた切り餅を皿に載せる。そのときに餅が皿にくっつくのが気になっていた。どうせ海苔を巻いて食べるのだから、あらかじめ皿に海苔を敷いたところに餅を載せれば皿も汚れない。やってみたらうまくいった。新発見である。むしろ、なぜ今まで気づかなかったか不思議。

他人にとっては当たり前で、自分にとっては発見ということがいくつもある。子供というのは、この発見が多い状態を指すのかもしれない。大人でこの状態だと、ちょっとアレな人だけど。ほっといてください。



▼人と話していて思うのは、だんだんとみんな隙が減ってきたなということで。うっかり足をすくわれないように両論併記的な話し方をする人が多い。やはりツイッターフェイスブックの影響なのかなあ。慎重である。バランスが良い意見ではなく、過激な極論を言ったほうが面白いのに無難な意見が多い。

友人も、わたしといるときぐらい気を緩めて極論を言えばいいのに。隙を見せたら後ろから刺していこうと思う。隙がない。



▼最近、借家に住んでいるような感覚が強くなった。借り物感とでもいうのか。人生ももう半分ぐらいきたと思うのだけど、そういうことと関係しているのかなあ。

わたしは何一つやらないで、今ここにいる。体自体がレンタル品のように思える。死ぬまで体を借りているだけで、死んだら返却するだけという。とすると、頭が良いとか顔が良いとかお金持ちだとか、そういう人はいい乗り物を借りられただけなのかもしれない。わたしも、福山雅治号を借りたかった。

もう努力すら尊いとは思わなくなった。いや、努力して何かを勝ち取るのは偉いとは思うんだけど、努力できる環境にいることが、これがもう大変に運が良い。環境に恵まれている。そうつまり、運だけで生きている。大変に運の良い思いをさせてもらっているのだなあ。

もう余分な物は全部上げちゃおうかなあと考えたら、まったく物欲がなくなってしまった。本当に物を買ってないんですよね。これ、もうすぐ死ぬのかね。なんだか危ない方向に行ってる気もする。