玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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坊主

▼健康診断終了、結果は後日。急に肘が痛くなったり、なんだかよくわからないまま治ったり、40歳近くになるといろいろ体の不調が出てくる。不調は頭のほうにも出ている。コントを見ても面白さがわからないものがある。感性や理解力が落ちているのかもしれない。

記憶は10代~20代、発想はせいぜい30代までが頭のピークのように思える。これからは衰える一方であろう。ご飯もう食べましたっけ? となるだろう。え、急にそこまで。こわーい。



東京五輪組織委員会会長を務める森元総理が、国立競技場建設、公式エンブレムの問題の責任をとって坊主になったというニュースを見る。なんだか感心してしまった。皮肉というわけじゃなく、この時代に頭を丸める人って本当にいるのだなという。

坊主になることの是非もあると思う。本人の望まない方向に容姿を強制的に変える罰というのは、あまりいい気持ちはしない。こういうのってどこまでOKなのだろう。罰としての意味なら、眉を剃れとか、おでこにバカって書けというのもありなのかしら。しかし森さんが頭を丸めても、それはただの散髪ではないのか。もう歳も歳だし、みんなそんなに森さんの容姿に注目してないと思うのだけど。むしろ髪を赤に染めるとかモヒカンにするほうが罰としての効果がありそう。

坊主という罰を与えるなら、髪が薄くなってきたなと思う年齢、つまりわたしぐらいの人間の坊主が一番堪えるのではないか。シャンプーのたび、排水口に流れ行く髪を見て、一本一本供養してますから。残り少ない髪の毛の一本一本に名前をつけておりますから。そういう人間にこそ坊主という罰が効くのではないかね。やめて。坊主とかよくない。

森さんの部下になると、ミスったときに坊主を要求されそうで怖い。そういう価値観がまだ生きているわけだし。記事には「みんなが責任を取れと言うから、いっそ綺麗に坊主頭にした」とある。この言われたからやりましたという、おまえらがグチグチうるさいからさあ! みたいなのが実に森さんぽかった。つい言いたくなるんだろうなあ。言わなければいいんだけども。同じ一言多い人間としてちょっと同情してしまうところもある。

坊主にするより、問題が起きた原因究明と改善提案の提出、改善提案の審査が先という真っ当な意見はあると思います。でもとりあえず坊主にするんだなあ。とりあえず坊主。響きがいい。
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