玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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作文

▼時間が足りない。なんで一日は二十四時間しかないのだろう。せめてあと三時間あればなあ。え、この歳でそんなこと言う? あなた、もうすぐ四十ですよ。というわけだが、それでも言うのだった。中学の頃から変わってないな。もう変わりたいとか成長したいという欲もない。ただ、ひたすらに自分と折り合いをつけていく。ご機嫌をとってヨイショしていく。そうすると、あの人はわりとがんばってくれる。あの人? もはや人格が分裂しつつある。

しばらく日記を書かぬ間に福山雅治は結婚し、ノーベル賞を日本人が受賞し、あとなにかいろいろあった。思い出せないことはその程度でしかない。

福山雅治の結婚で「ましゃロス」という言葉が流行った。ちょっと前にNHKの朝ドラ「あまちゃん」が終わったときに「あまロス」と言われていた。軽い喪失感のときに使ってよいのかな。重すぎると駄目な気がする。友人が無職になり「何もやる気が出ない」と言っていたので「ジョブロスだなあ」と言ったら「あ?」と言われた。怒り気味に怖い顔で「あ?」って。言葉とは難しい。

仕事は駄目で、あまちゃん福山雅治には使っても良い。ここが使用可能ラインなのか。だとするとペットロスも、もうしばらくすると言われなくなるかもしれない。ペットは家族と同様の位置まできている。親や配偶者がなくなっても「親ロス」とか「夫ロス」などとは言わないだろう。

しかし「ましゃロス」でもっとも気になったのは福山雅治が「ましゃ」と呼ばれていたことである。世の中には知らないことがたくさんある。知らなくていいことがたくさんある。ロスとは言うが、元から手に入ってなかったものもロスというのだろうか。



▼友人夫婦の家にお邪魔。友人夫婦の子ター坊(小学6年)と話す。ター坊が書いた運動会の作文を見せてもらう。

わたしもそうだったが、作文なんて面倒な宿題としか思ってないので内容がひどい。運動会の一日を起伏もなく延々書き連ねてあるだけなのだ。「朝起きて、卵焼きを食べて」って、そこどうでもよくないですか。文末に「いろいろあったけど楽しかった」をつけておけばいいんでしょ? というふざけた態度。これ、わたしの作文か。共感しますなー。

でも、自分がひどかったことは棚に上げてついアドバイスしてしまう。
「もうちょっといいたいことに焦点を当てて、その部分を厚く書いたほうがいいかも。他は薄くてもいいから。盛り上がる部分あるでしょ? リレーとか」

ター坊はよくわかってないのか興味がないのか、猫がやるように首をくるくる回していた。あまりの反応のなさに「まるで、わかってない‥‥」と脱力してしまう。

すると、ター坊は指を二本眉間にあて、鋭いまなざしで「その可能性はあるね」と答えるのだった。

なぜ、それでかっこうつけられるのだ。
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