▼プロジェクトが終わり、慰労でキャバクラに連れて行ってもらう。キャバクラは苦手だ。キャバクラに行くならバンジージャンプでもしているほうが気が楽だ。連れて行ってくれた営業の人の手をキャバクラ嬢が揉んでいた。「ゴツゴツしてる。働き者の手だね!」と言っていた。営業の人はデレデレしていた。
アニメ「風の谷のナウシカ」で、ナウシカが風の谷の老人の堅い手を「働き者のきれいな手」と評する場面があった。地球が腐海に包まれる前、ナウシカは中野のキャバクラで働いていた。時給2200円で働いていた。
▼お金持ちの人にご馳走になってしまった。ドラマで目にする「この店で一番高い酒持ってこい」とか「ここからここまで掛かってる洋服全部ちょうだい」みたいな人だった。いるのだな、そういう人。
昔、貧しかったのだろうか。お金持ちになって、お金への復讐を見ているようであまり気分の良いものではなかった。育ちが良い人というのは確かにいて、そういう人は物の価値がわかっている。物の価値がわかるということは自分にとってその物が必要かどうかわかることだと思う。
テレビで取り上げられる有名店に行くことができても、吉野家が好きだから吉野家に行くというような。高い安い以外の価値基準を自分の中に持っている。じゃあ、育ちの良い者がすばらしいかというと、そうはならない気もするのだ。育ちが良い者は、その環境を得るために親が十分なお金を使ってくれている。それは自分の力で稼いだわけでもない。一度、先祖が成金状態を通り越した結果、与えられた果実を貪っているだけとも言える。
人は、うっかりすると無粋なお金の使い方をしてしまうから難しい。だがうっかりしようにも金がない。うっかりしたい。誰かわたしにうっかりさせてくれないものか。