▼仕事を頂いている会社で打ち合わせ後に雑談。ワンマンな社長で勢いがある。「うちにはイエスマンがいない」と自慢げに言っていた。本当にそうなのだろうか。
会議中、社長の提案はほぼすべて通ってしまった。社員からいくつか対案が出たものの、とりあえず言ってみたという様子で、あまり本気とも思えない。歳をとると、ちょっと反対されたいとか、ちょっと怒られたいという感情が出てくる。もうあんまり怒られないんですよね。
バラエティ番組などで、ベテランの芸能人が女性アイドルにちょっと無礼なことを言われたり、叱られたりして、嬉しそうにしているのを見る。ベテラン芸能人は実績があるから、若い子にちょっとやそっと言われたぐらいで自信が揺らがない。あんまり下から叩いてるもんだから、かわいくすら見える。あれと同じなのだ。あくまで許容範囲内の失礼というか。鈴木奈々も、ここまでなら大丈夫というのをわかってやっている。鈴木奈々って書いたねオイ。実に巧みなのだ。
なんでも大げさに賛成するイエスマンはドラマの中にしかいなくて、たいていの人はノーマン(という言葉があるのかな)に見えるイエスマンなのではないか。ノーマンに見えるイエスマンが悪いかというとそんなことはない。ノーマンばかりなら、まとまらなくて大変だし、会議は常に血の惨劇となろう。イエスマン万歳。世の中はイエスマンで回っている。
ただ、ふだんはイエスで、いざというときにノーと言える人は必要である。ノーマンも何人かはいたほうがいい。
人は普通、誰にも嫌われたくない。そうすると「うちの会社にはイエスマンがいない」というより「大部分の人は、ノーマンに見えてもイエスマン」ということを肝に銘じておけばよいのではないだろうか。
わたしなんて断然イエスマンに囲まれて暮らしたい。美人秘書から毎日、イチゴを「あ~ん」てしてもらって暮らしたい。それはイエスマンとは関係ないのではないか。何が「あ~ん」だ、バカ。キャバクラに行け、キャバクラに。もう本当に君らはどうしようもない。