玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

球春到来

▼野球が始まりましたね。球春到来。わたしが応援する中日ドラゴンズは、初戦から二戦連続サヨナラ負けという地獄のような開幕を迎えた。まるでわたしの人生を象徴するような‥‥。やめて、そのたとえ。


▼ローソンでオマール海老の揚げ物を買う。オマール海老が200円で買えるようになったとは驚き。食べてみたところ鶏の味しかしない。よく見るとオマール海老風味のカラアゲくんなのだった。海老味の鶏って。鶏である。どうもよくわからない。

味というのは、調味料の名前を付けるものではないか。塩味のポテトチップのように。でも果物味の何かというのはよくある。グレープフルーツ味のキャンディーとか。だからといって海老味の鶏はありなのか。不条理。

先日、お仕事を頂いている会社の部長が「俺が来週休みたいから納期を早めろ」と滅茶苦茶なことを言った。自分の休みのためなら、わたしがいくら苦しんでもいいということだ。そういう不条理を考えると、オマール海老味の鶏。許す。満面の笑みで許す。世の中には不条理が満ちている。


村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む。あいかわらずよくわからずに村上春樹を読んでいる。なぜ村上作品があんなにも支持されるのか不思議。ほんの一部、熱心なファンがつくというならわかるけど、どうして文学の王道のような位置にあるのだろう。

とはいえ、わたしも村上作品が好きだ。持って回ったような言い回しや、ヘンテコな喩えが面白い。作品の主題とはかけ離れた部分が好きなのだから、きっとよい読者ではないだろうけど。

登場人物の思考や行動にはまったく共感できない。内気な主人公がジャズの流れるお洒落な部屋でパスタを食べていたら、美人の女の子といつの間にかセックスしてましたというのが村上作品である。そんなバカな。だいたいこんなのです。

どちらかというと、コンビニの前でワンカップ大関を飲みながら「日本はどうなってるんだ!」と喚いていた汚らしいおっさんのほうがまだ共感できる。さっきローソンの前で見たし。そういう人は出てきませんね。いっぺん出してほしい。

ふつうは共感できなかったり理解できなかったりすれば本を放り出すと思うけど、そうはならない。最後まで読めるし、読んだ後には不思議と気分が良くなっている。その理由が説明できない。説明できなくても気分が良いことは確か。理由を分析して説明できるのが評論家なのだろう。

作品の内容があまりに現実とかけ離れているし、ときに難解で抽象的であることから、解釈が多様化せざるを得ない。結局自分勝手な解釈になっていく。それは悪いことではなくて、いろんなものを受け入れてくれる広さを感じる。水面をのぞきこんだら、水に映る顔はみな違うように、わたしと他人の解釈が違うのが当たり前になる。

わたしは、作者の言いたいことが正しく理解できていないと思う。好きに解釈してわかった気になっているだけなのだ。悲しい気分の時に歌を聴いて、歌詞の一部を都合よく解釈して泣くような感覚に近い。そんな読み方をしていいのだろうか。でも、村上春樹という人は、そんな情けない読者も許してくれるような気がする。それもまた勝手な解釈だけど。
JUGEMテーマ:日記・一般