玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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納豆オムレツ、別れ話、SNS

▼朝食がマンネリ化したので新メニューとして納豆オムレツを作ってみる。一見合わない納豆とオムレツが作り出す新たな感覚に期待した。だが、思っていたものとちょっと違う。自分を励ますために「これは新感覚!」と、つぶやいてみたものの、マズい方向に新感覚だった。新感覚のマズさ。生臭さが際立っている。

クックパッドを見ると評判が良いし、美味しそうなのに。これはレシピ通りに納豆オムレツを再現できていないのか、再現できているが元からこの味が嫌いなのか。謎は深まるばかり。どうでもいいものが深まってまいりました。


▼友人A子と会う。最近、交際相手(三十代半ば)と別れたらしい。喫茶店でA子から別れを切り出したが、話が佳境に入りそうになると、彼がいろんなことを言って話を逸らすらしい。

「今度、(自分の)マンションを買おうと思ってるんだ。だから別れないでくれる?」とか「今から三分間、息止めるから、成功したら別れないでくれる?」などと言うらしい。なんだ、その斬新な引き止め方。

わたしならば、面白いから好きになってしまうかもしれない。でも、それを真面目に言うところに何かただごとならぬヤバさも感じますが。あきらかに普通ではない。

強引にA子が別れ話を進めようとすると、相手は片手で脇腹をおさえて大声で「痛い!痛い!痛い!痛い!痛い!」と叫びだしたという。なにその逃げ方。親に怒られた頭の悪い小学生でも、ギリギリやらない方法なんじゃないか。もっと何か別のを考える。

彼は「痛いから早く病院に行かないと!」と、その場を逃げ出したらしい。A子は、どうしてこんな事故物件みたいなのばかり引いてくるのか。呪われてるのかな。A子にも何か原因がありそうだけど。わたしは、彼とやり直すことを勧めた。彼の潜在能力ならば、もっとすごいことをやらかすはず。二人の今後に期待。


ツイッターフェイスブックなどのSNSについて、ただのインターネット上のサービスと捉えていたのですが違うのかもしれない。人が便利に使っているようでいて、実は暴走しているような。

街中で刃物や銃を持っていたら、一見して危ない人間だとわかる。でも、スマートフォンを持っていても誰もなんとも思わない。しかし、人の人生を破壊しかねないような物をみなそれぞれ手にしている。いつでもどこでも行動に移せる。そのことにあまりに無自覚に思える。

自分と違う意見を見過ごすことや、共感を得たい、承認されたいという欲求。どれも十分に制御可能で、どうでもいいことだと思っていたけれど、人によっては抑えがたいものなのかもしれない。どうでもよすぎて注意してこなかったが、今けっこう危ないところにいるのではないか。

1950年~1960年代は高度経済成長期で公害問題が起きていた。今は対策がされているから「あのときはひどかったらしい」と言える。だが、実は今が情報において公害のような時代の真っただ中ではないだろうか。それと気づいていないだけで。あと何十年かすれば「あの当時の情報リテラシーは最悪だった」と言われるかもしれない。
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