玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

ホラー、ほどほど

▼映画が好きでたまに観るけど、ホラーやスプラッタ映画はあまり観ない。怖いからだ。なぜ時間とお金をつかってまで怖い物をと思う。あんな怖い物を好きな人がいる。不思議だ。

そもそもホラー好きな人は、モンスター・殺人鬼側の視点で観ているのだろうか。だから楽しいのかもしれない。イチャイチャしていて殺されるカップルというのは、もはやホラー映画のお約束だけど、あのときのわたしの視点は確かにモンスター側になっている。「やっておしまい!」という。

だけど、主人公が危ない目に遭うと「ひいい!」となってしまうのだから、被害者側への視点移動が起きているのだろうか。この視点の移動が起きず、たえずモンスター側に視点があるのがホラー好きなのかなあ。

などと思ったので、ホラーを借りて友人Nと観ることにした。実験である。わたしはホラーだけは一人で観ることにしていた。というのも、いい歳をして「ひええ!」と声が出たり、ビクッとするのは見苦しい。それこそモンスターにバッサリやられたほうがよろしいのでは、と思う。

映画が始まって残酷な場面があり、それでも驚いたり声を上げたりするのは恥ずかしいので、画面に焦点を合わせずボカす感じで、観ていないのに観ているフリをしていた。そこまでするなら、観なければいいではないかと思うでしょう。わたしもそう思いましたね。観なければ良かった。怖いし。

で、目の端で友人Nを盗み見ると、両手で顔を覆って指の隙間から画面を観て「うっ!」と声を上げていた。乙女やないか。完全に乙女ではないか。38歳のゴリゴリのおっさんがしていい観方ではない。結果、ホラーの魅力はやはり理解できなかった。おっさんが怖さで身悶える姿だけを確認できた。


▼以前、一緒に働いていた元同僚のKさんと会う。わたしが仕事をもらっている会社のすぐ近くに勤めている。浮ついたところがなく、一見地味なのだが芯の強さを感じる人だ。彼女は口数が少ない。わたしといるときはわたしが8、Kさんは2ぐらいしか話さない。

いつお会いしても「いやー、本当にこれといった事件もない人生で」と仰っている。対して友人Fは事件だらけの人生を送っている。出会い系詐欺に引っかかり、架空請求詐欺に引っかかり、整形をして、ある日突然仕事を辞める。恐ろしい男である。

Kさんが「これといった事件もない人生で」と言うたびに感心する。事件がない人というのは、無意識のうちに事件を回避しているのではないか。よく携帯に「今日中に8000万もらってくれないと困るんです!」とメールがくるが、当然あんなものは中身も見ずに削除する。友人Fは、あれに「8000万ください」と返信するからすごい。どうかしてる。医者へ行け、医者へ。

それほどわかりやすい例ではなくても、暗い道を避けるとか、人の悪口を言わないとか、時間に余裕をもって行動するとか、そういった小さなことでも悪い出来事に遭う確率は下げられるように思う。Kさんは、それを無意識にできているのではないか。だが「事件がない」ことの退屈さはあるかもしれない。友人Fは自分から事件を作りに行っている感さえある。もし、映画を観るならば、穏やかな人生を描いたものより滅茶苦茶なものが面白い。ただ、それは他人事だからである。事件ばかりの人生、穏やかな人生、実際に体験するならばどちらが良いのだろう。

孔子論語で中庸ということを言っている。過不足がなく極端に走らないこと。ほどほどに行動するということ。「ほどほど」というと、なんだか中途半端な気もするが、何事もこの「ほどほど」が良いのではないかと最近は思う。真理は「ほどほど」なのか。
JUGEMテーマ:日記・一般