玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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脚がきれいなので耳が遠くなる

▼仕事を請けている会社へ。休憩所ではMさんという女の人が弁当を食べていた。休憩所は他の会社と兼用になっていて、よその会社のパートのおばちゃんもやってくる。おばちゃんは、おばちゃんだけあってよく喋る。あれだな、喋らないと死んでしまう病気なのだな。わたしにもMさんにも、よく話しかけてくる。

おばちゃんはMさんのすらっと伸びた脚を見ると「はぁ~、ほんとにきれいな脚してるわねぇ‥‥」と、うっとりする。一度ではなく会うたびに毎回感心している。Mさんは恥ずかしそうにしている。それだけならばいいが、なぜか毎回わたしに同意を求めてくる。「ね!きれいな脚よね。そう思わない?思うでしょ?」などと言う。困る。

同意すると脚ばかり眺めているようだし、否定するのも変だし、なんだか居心地が悪い。結果「ええ、まあ‥‥」などと煮え切らない感じである。どうしたらいいのか。逆にわたしからMさんに「きれいな脚だなあ、オイ!」などと言えばいいのかもしれない。セクハラで一発退場である。それか「わたしも脚には自信がありまして」とズボンを脱ぎだせばよいのか。社会から退場したいのか。

最近は、おばちゃんには悪いが、考え事をしていて聞こえないフリをすることがある。先日、会社にいったとき、おばちゃんがわたしのことを話していた。

「あの子(わたしのこと)ね。なんだかちょっと耳が悪いらしいのよね」

どうすればいいのか。


黒死病(ペスト)についての本を読んでいる。1348年、ペストがヨーロッパに広まり、ロンドンでは人口の40%、トスカーナでは80%が死亡した。ペストはアフリカからの貿易船に乗ったネズミが、体に宿したノミを通じて広まった。

ペストで何が変わったかというと信仰心の喪失があったとある。病人を看取る聖職者や、信仰心の厚い敬虔な信者もバタバタと死んでいく。残酷な現実の前に信仰心は失われていき、教会の権威も衰えた。ペスト以前は、科学的に重大な発見があっても、それが教義と相容れない場合、誤りとされた。教会が科学的進歩を抑圧していた。

富裕層は教会に寄付していた金を研究施設に寄付するようになる。1348年にはプラハ大学、1350年にはフィレンツェ大学が創設される。ウィーン、クラクフ、ハイデルベルグにも大学が設立される。

大勢の人間が死んだので着る者のいない衣類が発生した。やがて服を煮てとれた繊維でラグペーパーという紙が作られるようになった。安価で紙が供給されるようになる。それまで異端とされていた知識が見直され、グーテンベルク印刷機の発明によって世間に知識が普及していった。ヨーロッパはペストで苦しんだ暗黒時代から輝けるルネッサンス時代へと突入した。

ペストというのは当時のヨーロッパ人にとって不幸だったのは間違いない。ただ、ペストが起きたからこそ、ルネッサンス時代が到来したという見方もできる。歴史というのは、ある点だけを捉えて評価するのではなく、一本の長い線と考えたほうがいいのだろう。一見マイナスに見えることがプラスの結果を引き連れてくることもあるのだから。なんだかまともなことを書いておりますが、具合が悪いわけではありません。
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