玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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小さなおじさん

▼年末年始というのはもっとも仕事がはかどる。電話はかかってこないし邪魔が入ることもない。静けさというのがこんなに快適だとは、静かになってあらためて気づいた。新年ということで、気持ちが晴々する話でもしたい。

十二月は、中旬から特に忙しかった。仕事を請けている会社に行ったときは、担当である卑屈くんと打ち合わせを行なっている。卑屈くんという人は、知り合いのフェイスブックをチェックして、その交友関係が充実しているのを妬み「どうせ俺なんて‥‥」と落ち込むのが趣味の人である。ちょっと面倒くさい人である。

三週間ほど前に卑屈くんと、わたしの身の周りに出現する小さなおじさんについて話した。いっときテレビでも芸能人がよく話していたが、小さなおじさんがタンスと壁の間にいたとか、物を隠すいたずらをするとか、その手の話である。

わたしが「最近、誰かから見られているような気がする」と言うと、最初は笑って聞いていた卑屈くんだったが、何かに気づいたように「実は僕も‥‥」と話し出した。彼の話では、自分が使っている椅子の高さが変わっていたり、ブラウザの設定が変更されていたり、ノートの端に見えるか見えないかほどの小さな文字で「ち」と書かれているというのだ。

「それは小さなおじさんの『ち』じゃないのか!」「えっ‥‥、うわぁ!怖すぎる!」と、二人でワーキャー言って盛り上がった。もちろん、そのいたずらは全部わたしがやったことだ。小さなおじさんなんているわけない。卑屈くんが席を立ったすきに気づかれぬようにコーヒーカップの位置を変えたり、付箋に落書きしたり、一ヶ月以上前からいろいろやっていたのだ。わたしの苦労をわかってほしい。

もうちょっと寝かせておいたほうが面白くなる、そう思ったのでほっておいた。何日かたって会社に行くと、卑屈くんは小さなおじさんの話を周りにしたらしく、女子社員からも「今日は小さなおじさんはいないんですか?」と声をかけられていた。小さなおじさん効果で、ちょっと人気者になったようだった。

年末は立て込んでしまい、あまり会社にも行けなかった。卑屈くんにいたずらをするどころではなかった。先日、久しぶりに会社に顔を出した。忘れかけていたが、小さなおじさんのいたずらはわたしだったと言わなければならない。

もう小さなおじさんバブルは弾けたのか、誰も興味を持っていない。卑屈くんが話しても周りの人は流している。彼はちょっとつまらなそうに見えた。そもそも彼もべつに小さなおじさんを信じているわけではなかった。なんとなく、いたら面白い程度のことでしかなかった。

卑屈くんと打ち合わせをしたとき、こちらが何も言っていないのに「最近もまた小さなおじさんが出て‥‥」と紙を見せてきた。紙の端にはたしかに読めるか読めないか程度の字で「ち」と書かれている。当然、わたしが書いたものではない。

どう反応していいか困って「ふうん‥‥」と黙ってしまった。おそらくだが、卑屈くんは小さなおじさんの話で、ふだんはほとんど話さない女子社員と話せて嬉しかったのではないか。だが、小さなおじさんであるわたしが、忙しくていたずらをしなくなってしまい、仕方ないから自分でいろんないたずらをして、それを周りに話しているのではないか。

わたしがあまり乗ってこないので、あんないたずらがあった、こんないたずらがあったと目を爛々と輝かせて話してくれるが、それはどれもわたしがやったいたずらではない。卑屈くんが自分でやったものだろう。怖かった。

隣席のTさんは、卑屈くんを「『小さなおじさん、小さなおじさん』ばっかり言ってて、ちょっと気持ち悪いときがある」などと言っている。「同僚に『気持ち悪い』なんて良くないよ」と、Tさんをたしなめた。

Tさんは意外そうにわたしを見た。「しゅんさん(わたしのこと)は、もっと小さなおじさんのことを茶化すかと思ったのに」と言った。ま、わたしが原因だからな。

今、わたしは卑屈くんにどう言ったらいいかわからず、モヤモヤした気持ちでこれを書いている。「冗談でーす!」で許してくれるだろうか。駄目な気がする。どうです、新年から晴々した気持ちになっていただけたでしょうか。わたしがモヤモヤしているのに、みなさんだけ晴々なんて許せません。一緒にモヤモヤしようよぅ!

というところで、本年もよろしくお願い申し上げます。
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