玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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淡々

▼オードリーの若林さんが、ラジオでタモリさんについて話していた。タモリさんには独特の雰囲気がある。タモリ倶楽部で番組の終わりをしめるときに「ありがとうございました」しか言わない。変にオチをつけようとしないし、それで不足も感じない。若林さんは、その様子を「品がある」と言っていた。

無理して騒いだり、はしゃいだりというのは、観ていて痛々しい気分になるときがある。笑わせようとか泣かせようというのは、何か下品な気がする。わたしの日記の目指す方向も、淡々としたものがよいのではないか。だがしかし、淡々としてさえすればいいというものでもない。

天気、三食の献立、体調についてだけ書いてあれば入院中かと心配される。あと、それ本当に面白くない。尾崎放哉の俳句に「咳をしても一人」というものがある。誰からも声をかけられることもないつまらなさ、詠み手の孤独を想像させる。これだ、わたしの目指す方向は。毎日一行だけ、行間から状況を想起させるような日記を書けないものか。

グリーン車で金を借りに」

これでどうだ。前に勤めていた会社は経営がうまくいっておらず、社長がしょっちゅう借金に行っていた。で、金を借りに行くのになぜか新幹線の自由席ではなく、二倍の料金のグリーン車を使ってしまう。借金で首が回らないくせにグリーン車はないだろうということである。

もっとも借金の額が多すぎるから、今さら何万円か増えたところでたいしたこともないというのが社長の言い分である。贅沢が体から抜けきらないのかもしれない。社長から「これ精算してくれ」と、渡された交通費の伝票を見てわたしが言ったのが「ほう。グリーン車で金を借りに」である。日記でもなんでもなかった。なぜか突然、社長の悪口を言いたくなった。なんなのこの話。

▼そういえば肺炎になった。「咳をしても一人」を持ち出すなら、肺炎のことを書けばよかった。放哉のように一句詠めばよかった。

「咳をしまくったら会社に居づらかったのでスタバに行きましたが、スタバでも居づらいので結局、家で仕事をしていました。咳をしすぎて脇腹を痛めました」

放哉の「咳をしても一人」と比べて、どうだろう。詠む価値なしと思いましたけど。
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