玉川上水日記

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映画「新少林寺」

新少林寺
SHAOLIN / 2011年 / 香港、中国 / 監督:ベニー・チャン / アクション


これぞ正統派カンフー映画。
【あらすじ】
悪人が改心して善人になったら、べつの悪人にやられました。

【感想】
アンディ・ラウ、ニコラス・ツェー、ジャッキー・チェン、ファン・ビンビンなど、役者が豪華。わー、ジャッキーが出ているよ。それだけで嬉しい。アクションだけかと思いきや、教訓じみた話になっている。

1912年、辛亥革命翌年の中国。清王朝が倒れ、内乱や欧米列強による侵略で国内は混乱していた。軍閥による私利私欲の闘争が繰り広げられ、その中心には侯杰(こう・けつ/アンディ・ラウ/トップ画像真ん中)がいた。

この映画の面白いところは悪人が生き延びるところだと思う。最初に侯杰が軍閥の将軍である宋虎を裏切って殺す。ところが、すぐに部下の曹蛮(ニコラス・ツェー)に自分も裏切られ追われる。おまけに娘も殺されてしまう。逃げ延びた先は、軍人時代に自分が踏み荒らした少林寺である。ここで少林寺が、追い払って当然の侯杰を受け入れるくだりも面白い。

ここでの修行風景はいかにも少林寺っぽくていいですね。

この少年と侯杰の修行場面は映画の本筋とは直接関係ないのですが、とてもいいんですよ。侯杰が少年に「寒くないか?」と訊ね、少年は「寒かったら体を動かせばいい」と、型をやり出す。侯杰も少年と一緒に型を始める。侯杰はこの少年に、自分の娘を重ねている。他者への思いやりを持ち出した様子が自然に表れている。

娘が死んだのは、権力を求めた侯杰のせいだと妻(ファン・ビンビン)から責められる。いろいろと反省して改心した侯杰であった。この奥さん、『孫文の義士団』にも出ていましたね。若い頃の大塚寧々に似ているような。

こちらは侯杰の部下だった曹蛮(ニコラス・ツェー)。力こそ正義じゃー!みたいな、わかりやすい悪人。「孫文の義士団」では、ケンカっ早くて忠誠心の強い車引きという役だった。あの役は良かった。「俺、明日、結婚を申し込むんだ!」と、死亡フラグをこれでもかというほど立てていたら、やっぱり死んだ。いい人なんです、ほんとに。

※ここから先、ラストシーンに触れています。
侯杰は宋虎を裏切って殺す。そのとき、侯杰は悪人だったがやがて改心する。曹蛮も侯杰を裏切り、侯杰は死ぬことになる。因果応報のようなものを感じる。なぜ最後に善が死んでもよいかというと、善であるから、もうあの世に逝ってよいというように受け取れた。悪はこれから改心の余地がある。不完全だからこそ、まだ生きなければいけない。現世で修行しなければならないのだ。こういう教訓じみたところがちょっと面白かったです。

老師と料理人(ジャッキー・チェン)の会話も良かった。ジャッキーが、少林寺にしか居場所がないから町へ出たくないとごねる。誰にでも必要とされる場所があると老師が諭す。

「金と泥、どちらが価値があると思う?」

「それは金にきまっている」

「では、種をまくならどっちだ?」

「‥‥」

キャー!老師様、かっこいい!どっかでこれ使おう、と思いました。どこで?

しかし、この問答は相手が100%「金」と答えることを見越して作られている。もし相手が違うことを言うと、どうなのだろう。

「金と泥、どちらが価値があると思う?」

「物を買うなら金ですけどお、種をまくなら泥でしょうか。そもそも、金というのは時間や物と交換するための万能の交換チケットのようなものですから、本質的には金には価値がないとも言えます。でもでもお、泥だって金で買えるから、結局は金って答えれば問題ないと思いまーす!」

早く死ねばいいのになー、おまえ!

でね、ジャッキーのアクションシーンも久しぶりに観ました。テーブルの上で敵を丸めていくような、ジャッキーらしいコミカルなやつです。もうバリバリのアクションは還暦間近のジャッキーには厳しいのでしょうけど、やはりアクションをやってくれると嬉しい。何かそこでホロリときました。まったく泣くシーンではないけど。

中国の風景、少林寺も美しく描かれ、カンフーもすばらしい。お薦めです。


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