玉川上水日記

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映画「裸の島」

裸の島
1960年 / 日本 / 監督:新藤兼人 / ドラマ


生きるとは、幸せとは。
【あらすじ】
水も電気もない小島で生活しています。

【感想】
瀬戸内海にある半径500メートルほどの小島。その島で暮らす両親と子供二人の四人家族。日々の暮らしを淡々と描いた、セリフなしの白黒映画。朝から隣の島まで水汲みに出かける。水の重みで、天秤棒が女の肩に食い込む様子が痛々しい。急勾配の斜面を登り、畑に水を撒く。それを何度も繰り返すだけで一日が終わる。

まるで遠い外国の話でも観るような、不思議な感覚だった。娯楽や刺激などがまったく感じられない生活で、現代人からすれば「何が楽しいのかわからない」と映るかもしれない。でも、生活するとはこういうことなのだろう。

幸せでなければとか、恋愛をしてなければとか、そういった信仰のようなものはここ3、40年に作られたものなのではないか。ただ生きて、ただ死ぬというのが本当のように感じる。だが、それだけではつまらない上に、商売というのが重なって、幸せ信仰などが生じたのではないか。

子供が鯛のような魚を釣り上げました。お祭り騒ぎである。はしゃぐ父(殿山泰司)。魚を町で売って、みんなでカレーを食べます。そういうささやかな喜びで生きていけるのだろう。そういえば、白いランニングの子供というのもずいぶん久しぶりに見た気がする。最近、いないなあ。なにせ子供がおしゃれになってしまった。白いランニングは、山下清ぐらいだ。あのかっこうでフラフラしてると通報されるかもしれない。

一ヶ所、よくわからない場面があった。天秤棒を担いでいた妻(乙羽信子)がよろけて水をこぼす。それを見た夫が妻をビンタする。あれがねえ、なんだかわからない。何もそんなに怒らなくてもいいじゃんか。わざとじゃないんだし。じゃあ、あれか、お前が水をこぼしたときもビンタだからな!と、なるのかしら。ならないような。

男女が同じ労働をしているのだから、上下関係が生じにくいような気もするんだけど、どうなのだろう。同じ肉体労働をしているからこそ、力が強い男が偉い(よりたくさん働けるので)という考えなのだろうか。

幸福、退屈、満たされない、充実していないとまずい気がするとか、この映画の世界からすると贅沢病のようなものかもしれない。そんなこと言ってるとご飯が食べられないので働くしかない。選択肢がない世界だ。ただ、この贅沢病のようなものもバカにはできないつらさを持っている。いつの世も生きていくのは困難だろうけど、その困難が肉体的なものから精神的なものに遷り変わってきたのかもしれない。

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