玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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お茶

▼たくさん物を食べると、お腹がいっぱいで眠くなるよね。お腹がいっぱいだと眠くて何もやる気が起きなくなるなあ。もう、よのなかのことがどうでもよくなるんだ~よ~ね~。アホの日記へようこそ!

▼まあ、今年の中日の弱さといったらなんだろうか。思えば、落合監督時代はバブルですわ。毎夜毎夜、ジュリアナ東京で踊り狂ったあの日々。ジュリ扇でライバルたちを押しのけ、お立ち台の真ん中に立つことだけに命をかけていた。JリーガーたちがいるVIPルームに呼ばれるのがヒエラルキーの頂点を極めた瞬間であり、女たちの化粧と汗でむせ返る熱気の中、ドンペリの香りだけがわたしに生を実感させたのだ。

知らんけどな!子どもの頃、そーゆーのをテレビで観たんです!だから、間違いない!

落合が監督になってから中日はAクラスを脱落したことはなく、常に優勝争いをしてきた。あれは今思えば落合バブルであった。今年の中日の弱さよ。そしてバブル崩壊後、失われた10年間が始まるのです。ドンペリの香りが懐かしい。

▼BS歴史館という番組で「千利休」がとりあげられていた。茶の歴史はずいぶんと古い。三国志の始まりも、劉備玄徳が病気の母のためにお茶を買いに行く場面から始まる。あの頃、すでにお茶が体に良いという認識があったのだろう。わたしが興味があるのは、そこまで古い話ではなくて、政治とお茶が密接にかかわった戦国時代のお茶である。

この話は前に一度書いたのですが、時間もたっているのでまあいいかと思います。戦国武将の中で、信長という人は特別に人気がある。信長の聡明さが際立っているのは、お茶についての考え方だと思う。

天下統一を目指し各地を併呑し勢力が増していくのは喜ばしいが、配下に与える褒美の土地も当然不足してくる。そこで土地の代わりに茶道具を与えることを考えついた。茶の湯御政道である。

信長配下の武将、滝川一益が領地よりも茶器の珠光小茄子を欲しがったという有名な逸話がある。茶碗や茶入れというのは、言ってしまえばただの道具にすぎない。つまるところ茶碗は土の塊を焼いた物である。そこに一国以上の価値を持たせてしまう。

信長という人は、本当のところ茶碗についてどう考えていたのだろう。とても合理的な考え方をするので、「あれはただの土の塊を焼いた物にすぎない」と思っていたのか。ただ、それだけとも思えない。人というのは、口にしなくても考えが人に伝わってしまうことがある。自分が内心、茶碗を土くれにすぎないとバカにしていたとすれば、その感情は人に伝わるのではないか。特に戦国時代ともなれば、周りの人間の嗅覚も鋭かっただろう。

だから、信長は茶碗をただの土くれと思うとともに、美術品として純粋に愛していたのではないか。一見、矛盾するのだけど、そういう二つの視点を持っていたように思う。茶碗に美術品になるだけの本質的な力があり、信長が茶碗に価値を付けるということを見出して、茶の湯というものは花開いたのだろう。本当のところ信長が茶碗をどのように考えていたのか、とても興味がある。
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