玉川上水日記

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映画「ヤコブへの手紙」

ヤコブへの手紙
2009年 / フィンランド / 監督:クラウス・ハロ / ドラマ


与えることは与えられること。
【あらすじ】
終身刑だったが恩赦によって出所したレイラ。そのレイラの身元を引き受けたヤコブ牧師。レイラの仕事は、盲目の牧師のために、牧師の元へ来る手紙を読むことだった。退屈な仕事なのですぐに嫌になります。

【感想】一部ネタバレしてます。
フィンランド映画というのはアキ・カウリスマキ監督のものしか知らないのですが、この映画も淡々としてますね。

終身刑で服役していたレイラ(カリーナ・ハザード)ですが、まったく忙しくもないのに実に嫌そうに仕事をするのがちょっと面白い。太っちょのおばちゃんです。
牧師に来た悩み相談の手紙を読んで返事を書くお仕事。手紙が来すぎた場合は、こっそり捨てたりします。こらこら。

でも、毎日手紙が来るわけでもない。そうするとヤコブ牧師(ヘイッキ・ノウシアイネン)は「わ、わしは必要とされてないのか‥‥」と落ち込んでしまう。そんなガッカリしなくても。おじいちゃんが落ち込んでると、かわいそうになるよ。元気出して、おじいちゃん!

で、手紙がこなくて落ち込む牧師様を、寝っころがってポテチを食べながら「めんどくせーやつだなー」と思っていたレイラだが、ちょっとだけかわいそうになったので、手紙が来たと嘘を言って自分の身の上話を語ります。レイラは牧師のために語っていたはずなのに、牧師との対話によって癒される。牧師もレイラとの対話で、また癒されたのだ。

与えることと与えられることというのは、一般的には与えることが優位と思われているかもしれない。だが本当はどうなのだろう。昔、ある偉い坊さんがいて乞食にお金を恵んだ。乞食は何も言わなかったので、お坊さんは「なぜお礼を言わないのか」と訊いた。

乞食は「お前は金を恵んだことで満足を得たのだから、それが代価だ」と答えた。性格の悪い一休さんみたいなやつである。たしかそんな話だったと思う。

人に何かをしてあげるとき、心のどこかでお礼を求めている部分はある。でも場合によっては、してあげる側が、してもらう側よりも多くのものを受け取っていることさえあるかもしれない。だとすると、わたしたちは人により多くのことをしてあげるべきなのかもしれない。与え合うことでよりよい関係が築ける。隣人を愛すということは、ひいては自分を愛すことにも繋がるのではないか。説教映画といえばそうですけども。

坊さんと乞食の話ですが、どこで読んだか忘れてしまいました。もしご存知の方がおりましたら教えていただければ嬉しいです。お礼はしないけど。だって、あなたたちは教えてやったということで満足という代価を受け取っているのでしょう?優越感にひたっているのでしょう?だから、わたしはその満足代として金銭を要求してもいいと思うんです!なるべく早めに三井住友銀行目黒支店に振り込んでください。


・郵便配達人について(観た人用)
郵便配達人は牧師が盲目なのをいいことに、牧師の家に忍び込んでたびたびお金を失敬している。郵便配達自転車も、おそらく盗んだ金で買ったのだろう。そのくせ牧師に「おや、自転車を替えたのかね?」と訊かれると「わかります?」と嬉しそうに自慢したりする。おまわりさん、コイツです。通報したい。牧師はきっとわかってて許しているのでしょう。
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