玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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占い

▼この前はじめて、日本ハムシャウエッセンというウィンナーを食べました。あれはおいしいねえ。プリプリしておる。わたしは食べ物にこだわりがないほうなので、本当はなんでもいいんだけども。シャウエッセンかじっても、エンピツかじっても、あんまり違いがわからないもの。じゃあ、エンピツ食べてればという話ですが。

こだわりがないといえば、以前の上司も食べ物にまったくこだわりがない人だった。財閥の御曹司だったけど松屋の牛丼が好きで、よく一緒に行っていた。生まれを鼻にかけることもなく、とても謙虚な人だった。

雑談をしていたとき「おふくろの味」という話になった。彼が「母親に料理を作ってもらったことはないなあ」とちょっとさびしそうに言っていたのを憶えている。料理は全部住み込みのお手伝いさんが作っていたそうだ。たいしておいしくなくても母親に作ってもらったほうがいいのか、贅沢でおいしいけどお手伝いさんに作ってもらったほうがいいのか。

お手伝いさんに作ってもらって、まずいというのは避けたい。最悪である。

▼占いについてあれこれ言うのは野暮なことかもしれません。占い師にあんなこと言われた、こんなこと言われたと盛り上がるのが正しい楽しみ方のような気がする。

でも疑問なのが、なぜ二度占わないのかということです。占いをする前の自分がいて、占い師にアドバイスを受けたとする。そうするとその時点で改善の決意などをして、以後の運命が変わっていると思うのだけど。だからその変化が良い方に変わっているか、アドバイスを受けた後に再び占ってもらう必要があるんじゃないだろうか。良い方に変化しているとは限らない。

だが、そんなに単純な話でもない気がする。アドバイス後に再び占ってもらうことに本当に意味はあるのか。たとえばだけど、Aさんという人が「出張に行くのは時期が悪い」と占われるとする。その占いを信じてAさんが出張に行くのをやめることにする。

Aさんは出張をやめたのでその日はふつうに出勤した。すると街で偶然友人Bさんに再会した。久しぶりに飲みに行くことにした。その居酒屋でたまたま隣の席にいたCさんと知り合いになって‥‥、などと予測しない方向に運命が変わることがある。

つまりAさんが出張をやめたことで、AさんだけでなくBさん、Cさんの運命も変わってしまった。そうするとBさん、Cさんの周囲にあるすべての運命も変わり、またその周囲の周囲も影響を受け、その効果は無限に広がっていく。もし占いによって行動を変える人たちがたくさんいるのなら、相互がより複雑に影響し干渉し合い、未来予測など不可能に近いように思う。

わたしが占い師だとして、わたしのようなやつが来たら席についた瞬間に言います。「あなた、めんどくさい人ですね」で、三千円もらう。未来のことは言いません。すぐ揚げ足とるしさあ!めんどくさいやつってほんと嫌われるよな!もうね、ゴチャゴチャ言ったら「地獄に落ちますけどー」って言う。これだけで押していく。嫌な占い師である。
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