玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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年賀状

▼今年は年賀状が三枚きた。社会人として大丈夫なのか?などとはもう言わない。駄目だとわかっているからである。わたしが死んだら、わたしに年賀状をくれた三人に遺産を残そうと思います。

で、去年はどうだったのかと日記を見ると一切年賀状のことに触れていない。ショックを受けるほど少なかったのかな。たしか去年は「なんらかの事情で日本では年賀状が印刷されなかったはず、されなかったはず、されなかった‥‥」と自己暗示をかけた覚えがあります。病気か。

じゃあ実際に一人何通ぐらい来ているのか、調べてみようと思ったよ。日本郵便のサイトを見ると平成25年1月1日時点での年賀郵便配達物数は18億9900万通とある。一人あたり平均15通ということらしい。実際は会社宛に出されるものもかなりあるはずなので、これよりもちょっと少なくなるのではないか。

正直なところ15通ってそんなに多くない印象ですよねえ、などと。もらった3枚のうち1枚は、通院していた整骨院からだった。そうだ、整骨院には遺産やらなくていいな!

それと、送り先によってだけど年賀状からメールに切り替えている件数も増えているかと思ったのですが、配達数の前年比(25年と24年の比較)は98.5%でそんなに減っている印象はない。ただし、24年と23年の比較では7.6%も減ってるんですよね。このときにある程度、紙で出す必要がある人とない人という区分けが行われたのかもしれない。

▼メールのBCCで、あけましておめでとうと送ってくる人がいる。あれはなんだかありがたくないような気もする。一斉送信で手間が省けるのはわかるけど。ツイッターでのあけましておめでとうも同じといえば同じなのだろうけどBCCよりはマシな気はする。

やはり手抜き感はぬぐえない。ブログに一度書いたと思うのですが、以前の同僚が脅迫メールをもらったとき「死ね」という字がずらーっと並んでいた。しかし、それも「死ね死ね死ね‥‥」というのを一行ぐらい打ってコピペを繰り返したのだと思うと呪いが薄い。怖くない。

手書きで一文字一文字呪いをこめて書いた「死ね」と価値が違うのである。ありがたみがないんだよなあ。「職人が一枚一枚心をこめて焼いてます」みたいな。だから脅迫メールの最後には「気持ちを込めて全部手で打ちました」と書けばいいと思うんです。何の話でしたっけ。

▼一緒に仕事を請けているN氏から電話があり「今年は年賀状はおろか、あけおめメールさえ来なかった」ということだった。野球でいえば完全試合である。何年かに一度しか達成できない大記録だ。アッパレか喝かでいえば、間違いなく喝ですけど。

世界中のメールサーバーがダウンしていたという自己暗示をかけることを勧めた。そんなこんなで2013年の仕事始めである。
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