玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

このブログの内容はすべてフィクションです

あけましておめでとうございます

▼年々薄まっている年末年始感というか、全然正月っぽくないんだよなあ。正月に対する期待感があまりない。クリスマスのときにも感じたけど。子供のころ楽しみにしていた「大晦日ドラえもん祭り」だったり、格闘技の夢の対決だったり、そういうのがないからかな。

友人夫婦の家にお邪魔した。正月、わたしは用事があるので、大晦日に友人夫婦の子ター坊(小学校3年)に早めのお年玉をあげることにした。お年玉の相場というやつがよくわからない。わたしの友人であるター坊の父親は子どもに厳しいので「あまりお年玉をあげないでくれ」と言われている。そういう教育方針ならばしかたない。わたしはあげたくて仕方ないんだけどさあ。本当にねえ、あげたいな~。いらないんならいいけども。

ター坊を部屋の隅に呼んで言った。
「今からお年玉をあげるけど、ここに千円が入ったポチ袋があります。これを選べば無条件に千円がもらえる。それと、もう一つの方法がある。ここに三枚の袋があってそのうちの一つには『当たり』の紙、他の二つには『はずれ』の紙が入っている。当たりを引けば三千円、はずれなら今年はお年玉なし。さあ、どっちを選ぶ!」

「お‥‥、おぉぉぉぉぉ!そんな、そんなことがぁ!三分の一のトリック!」と叫んだター坊は頭を抱えてうずくまった。トリックではないんだけども。しばらく畳の上でゴロゴロ転がっていた。

「千円だと『とびだせ どうぶつの森』は買えないけど、三千円だったら‥‥、他のお年玉と合わせたら買えるかも!でもはずれるとゼロ円だし‥‥。でも、でも~!どうすればいいの~!」と足をバタバタしてる。楽しそうだな、オイ。三千円でこんなに楽しめるとはうらやましい。ゴロゴロ転げまわっていたのがピタリと止まった。

「やり‥‥、ます‥‥」これまで聞いたことのないようなター坊の重々しい声。あれだよね、時限爆弾につながってるコードを切るときの感じ、命かかってる感じ。重すぎるわー。

ター坊の目は燃えていた。大人と子どもというのは関係ない。もはや一人の人間対人間である。ター坊の目の前に三枚のポチ袋を置いた。「じゃあ、好きなの選んで」ター坊はうなづいた後、袋を選び始める。右の袋に手をかざし、まるで掌で中身を透かしているかのようだった。違うという様子で首を振り、真ん中の袋に手を移し、しばらくして左に手を移す。取り決められた儀式を行っているような仕草で、最後に真ん中の袋に戻ってきた。

「これだと思う‥‥」と厳かに真ん中の袋を指差した。わたしがうなづくと、ター坊はその袋をつかみ、中かから二つに折った紙を取り出して開いた。わたしに開いた紙を向けると「当たり」と書かれている。負けた。

「やったー!ありがとうございます!ありがとうございます~!」と叫んだター坊は、後ろに転がった勢いで後頭部をテーブルにぶつけた。そんなことではまったくひるまずに後頭部を抑えながら「しゅんくん(わたしのこと)から、お年玉もらった~」と叫びながら居間のほうへかけていった。散々はしゃいで食器棚に頭をぶつけたりしていた。いいなあ、あんなに喜んで。

父親からは「そういうギャンブルみたいなことはするな」と、わたしが怒られた。うう、一年の最後の日に怒られた。だってー、面白いと思ったのにー。面白かったけど。あわよくばお年玉をゼロ円にしてやろうと思っていたのに。来年は勝って泣かす。新年早々、泣かす。

ター坊は帰り際「次もまたあれやろーねー!」と、すっかり気に入った様子だった。目が爛々と輝いていた。こんな人、場外馬券売り場によくいますよね。教育方針を間違えるとは、こういうことだろうか。優秀なギャンブラーが育とうとしています。

▼先日、久しぶりに友人と会ったのが楽しくて八時間ぐらい話してしまった。そのときも声が嗄れたけど、昨日も四時間ぐらい話したせいか喉が痛い。学生の頃、年末は友だちの家に泊まりに行くか鐘つきに行くか、どちらかだった。浮かれて騒いで声が嗄れた。喉の痛みで年末年始を実感する。

今年もよろしくお願いいたします。みなさま、どうぞ健やかに。
JUGEMテーマ:日記・一般