玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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所有

▼知り合いの勤める会社がマスコットキャラクターの名前を募集するらしい。またしてもゆるキャラである。さすがにゆるキャラも飽和状態にあるのではないか。方針を変えて今後は、げきキャラ(劇画キャラ)というのはいかがでしょうか。

ゴルゴ13をモデルにしたゴルゴさんなど良さそう。「命が惜しければ俺の後ろに立つな」が口癖。相手が客でもはっきり言います。気に入らない客は半径2キロ以内なら狙撃可能。

▼以前にスーツをかびさせた話を書きました。そのときクリーニング代がだいぶかかってしまった。あれからちょっと考えましたが、物を持たない豊かさというのもあるのだろうなあ。個人でも会社でも物を持っていれば、保管場所や管理に費用がかかる。だから本当に豊かであれば必要なときだけ借りるか買うかすればいい。

去年あたりに断舎離という言葉が流行った。読んでないのでわからないのだけど、物への執着をなくし物を捨てることなのでしょうか。たしかにそれが理想のような気もする。だがちょっと無駄がなさ過ぎる。もうちょっと無駄があっていいんじゃないか。

物への執着がないというのは理想だけど、そこにたどり着くには豊かさが必要だと思う。今は30歳も過ぎれば、多くの人はお腹いっぱい食べたりはしない。美容や健康ということをどうしても考える。前に年配の方にご馳走になったとき「たくさん食べなさい」と勧められた。

「太るから」と断るのも失礼な気がしてたくさん頂いた。太った。戦争を経験している世代ですと尚更ですが、やはり年配の方は若い人に比べると、お腹いっぱい食べるのが幸福という考えが強い。若い人は食べられなかった経験がないから、そんなに食べることに執着していない。あるのが当たり前なので、太るからやめておこうという発想ができる。

豊かさというのは物をたくさん所有しているというより、自分が何が欲しいかを知っていることなのだろう。そしてそれを手に入れられることだ。だから物を持たない豊かさというのは、物を持つことができる人が獲得できる考え方である。

と、まあだいたいそんなことを考えたわけで、すると物に囲まれて育った世代のわたしなどは何も持たないほうがいいということになる。パソコンで検索するとだいたいのことはわかるし、無駄なことは推測してやらないというのは知性の一つだ。しかし、その表層的な知識で知ったような感じになるのもなんだか違うように思う。

初めてタバコを吸ったとき火が点かなかった。タバコを吸う人には当たり前だけど、タバコは根元のフィルター部分を吸いながら火を点けないと火が点かない。そんな簡単なことも知らなかった。小さなことでも、やってみてはじめてわかることや感じることがある。もっと徹底的に物に執着して、そのあとに執着がないということにたどり着いてこそ本当ではないか。

これからはどんどん物に執着していこうと思います。物欲の権化となりたい。ペルシャ絨毯の上で肘掛け椅子に揺られながらワイングラスを傾ける。膝の上の愛人とシャム猫を交互になでる。部屋の壁には猟銃と鹿の角。

あのー、わたしの金持ちのイメージってだいぶ古いんですけどあってますか?こんなんでちゃんと執着できますか?今後はバリバリ執着していかないといけないしワイロも裏金も受け取らないといけない。みんなの汚いお金、待ってます!
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