玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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悪口の作法

▼ナゾナゾを教えてもらいました。
ハイソックス=1
ポロシャツ=4
レオタード=5
テンガロンハット=1
ブルマ=?

けっこう難しいと思うのだけど。回答は次回の日記で、とやると最近は映画の感想ばっかりだからねえ。答えは日記の末にー。

▼わるぐちぃ~を言いたいな~♪ ひとのわるぐちぃ~は楽しいな~♪
仕事の帰り道、そんな鼻唄を口ずさんでいた。

というのも、一緒に仕事を請けているN氏と「人の悪口は楽しい!」と盛り上がったからである。しかし、いい歳をしてねえ。もうちょっとまともな話はできないものか。できません。する気もないね!

上手な悪口というのは難しい。一番いいのは言わないこと、それはわかりきっている。でも言いたいんだよねえ。人の性として、悪口を言うことを避けられないなら、言わないで悶々とするより「いかにして悪口を言うか」そのルールを決めることが重要なのではないか。悪口にも「悪口の作法」があるんじゃないかという話をした。

N氏が悪口について語りだした。彼によれば「その人に聞かれても困らないぐらいの悪口ならいい」ということらしい。よく聞きますよね、これ。なーんかね、気に入らない。その原因はなんなのだろう。「自分でルールを決めて悪口を言ってるオレ、かっこいい!」というのが見え隠れするからだろうか。

まるで「金持ちからしか盗まない」という義賊の薄っぺらい正義感に近いものを感じる。盗んでいい人とそうじゃない人をどこで分けるのか、その金持ちが悪人という判断に誤りはないのか、悪人とはなにか、金持ちがのちのち破産することになったらどうするのか。そのときの家族や従業員の暮らしはどうなるのか。などと思えば、ずいぶん勝手な言い分に聞えるし「結局えらそうなこと言って泥棒じゃん」としか思えない。

つまり、人間のクズとしての自覚が足りない。人にしたり顔で語りだすと「ルールを決めてやっているかっこいいオレ!」という、鬱陶しさが出現する。おまけに「他人から良く見られたい」という部分も見えてしまう。所詮泥棒は泥棒だし、悪口を言う人間は最低なのであるからして、人間のクズという自覚を持たねばならない。

だから、悪口を言うときに気をつけていることはある?と訊かれても「その人が本当には傷つかないように」とか「聞かれてもいいように」とか「聞いていて気分が悪くなるようなのは駄目」などと言ってはいけない。それを心に秘めていても言ってはいけない

あえて「もう人の悪口を言うのが楽しくてたまらない!悪口を言うぐらい楽しいことってある?」と言うべきだ。それでこそ正真正銘のクズ。顔で笑って心で泣いてである。わたしは本当は誰の悪口も言いたくないんです。本当なんです。

なのでN氏に「本当にクズだねえ!」と言ったところ「なんだとう!」となったので「クズをクズと言って何が悪い!」となって、新宿東口で首の絞めあいをして遊びました。オッサン同士で。楽しかったです。

▼ナゾナゾの答え。
ブルマ=3
答えは、開いている穴の数でした。
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