玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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三分間スピーチ

▼お世話になっている会社に行く。お盆だから三分の一ぐらいしか人がいない。ちょっと早く着きすぎたようで、朝の三分間スピーチというのをやっていた。わたしは人前で何かをするというのが苦手なので、こういうのは本当に大変だと思いますよ。

知人のフェイスブックをチェックして、その交友関係が充実しているのを妬むのが趣味である卑屈くんがスピーチをしていた。内容はたいしたことがなく、ほとんど憶えていないのだけど、笑わせようとして失敗していた。嘘でもちょっと笑ってあげればいいのに。

朝礼が終わった後、卑屈くんはいろんな人に「僕、すべってませんでしたか?」と訊いてまわっていた。みな、優しいのか、本当のことを言いづらいのか「そんなことないと思う」とか「スピーチは難しいからねえ‥‥」と言葉を濁していた。いつか自分にもスピーチの番がくるとなると他人事ではないのだろう。

卑屈くんは納得しないのか、給湯室にいたわたしのところにも来て感想を訊いた。実のところ、途中からだったので話がよくわかってないのだ。ただ、すべっていたのは確かだった。彼に「普通だったよ」と答えるが、なぜか納得しない。

「しゅんさん(わたしのこと)、お願いだから本当のこと言ってくださいよ。みんな、なんか遠慮してるみたいだし」と食い下がる。こういうときって本当のことを言ったほうがいいのだろうか。

「エアコンのね、『ブーン‥‥』ていう音が聞えるぐらい豪快にすべってたよ!」と教えてあげた。

卑屈くんは一瞬、顔をゆがめたあと「わーっ!やっぱりー!」と言いながら、頭に両手をあてて走って行ってしまった。漫画でしか見たことない逃げ方だった。まずかっただろうか。

卑屈くんは午後、早退した。なんたるメンタルの弱さ。隣席のTさんから「何か言ったでしょ」と問い詰められたが、はたしてわたしが原因だろうか。どうだろうか。

帰りに、励ましと冷やかしを兼ねたお好み焼きを買って卑屈くんの家に寄った。オンラインゲームのドラクエ10をやっていた。「ゲームの中じゃ、すべり知らずなんですけどねえ‥‥」と静かにつぶやく卑屈くん、30歳の夏。

なにこの終わり方。