玉川上水日記

このブログの内容はすべてフィクションです

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よくわからない話

▼高校時代の友人Oと話す。彼は人がいいものだから、よく騙される。キャバクラ嬢に騙されたり、通信教材を買わされたり、シルクスクリーンを買わされたり、とにかくよく騙される。普通は一度騙されると警戒するものだけど、わりと何度も騙されるのである。大物かもしれない。

わたしはどうしても疑ってかかるところがあるので、その分、損をしているところがある。疑わなくてもよい所も疑うし、それはずいぶん面倒くさい。だとすると、とりあえず騙されてしまうというのもカラッとしていていいのかも。まあ、実のところ、金額によるよ。

で、Oは先日、駅前で五十歳ぐらいの男性に話しかけられたという。財布を落としてしまって家まで帰れないから電車代を三百円ほど貸してほしいという。本当に困っていたのかもしれないが、寸借詐欺かもしれない。Oは人がいいので貸したらしい。

男はOからお金を借りると、目の前のコーヒーショップに入って飲み物を注文したそうである。男の行動がよくわからない。せめてOがいなくなってから店に入るなら、まだわかる。Oの目の前で店に入ったというのが気味が悪い。Oに咎められたらなんと答えるつもりだったのだろう。

ちょっと気の強い人なら、男の行動を咎めるかもしれない。そこで喧嘩になることも有り得る。目の前で店に入るなんて、貸した人をバカにしているみたいである。実のところ、喧嘩になってもかまわないと思っているのか。

普通の人は揉め事を起こしたくない。なるべく平穏無事に過ごしたい。この人は、簡単に回避できるはずの揉め事を自分から手繰り寄せているように見える。わたしがそれなりに大事にしたいと思っている人生を、投げ捨ててしまうような態度が気味の悪さを感じさせるのだろうか。結局、Oは男に声をかけることはできず、その場をすごすごと去った。

なんだかよくわからない話である。で、Oとわたしとどっちが得なのかなと少し考えた。わたしならば、男に交番に行くように言ってお金を貸さなかったと思う。しかし、その場合、Oのような体験はできない。Oは、たった三百円で珍しい体験をしている。もし、Oの人生とわたしの人生を書いた本があるなら、わたしはOの本を読む。

じゃあ、わたしもOのように行動すべきなのだろうか。キャバクラ嬢に貢いで二百万の借金を作ればよいのだろうか。うーん、それはナシ!

ここらへんがわたしの面白くないところ。もうちょっと冒険すればいいじゃないか。部屋の中にいて「今日は雨か」と外を眺めるのは楽だが、実際に土砂降りの雨に打たれるのはつらい。でも、土砂降りの雨に打たれてこそ見えるものもあるのだろうなあ。

二百万の借金とか。で、通信教育やってシルクスクリーン買って、さらにローンが膨らむという。それはやっぱり見えなくてもいいと思います。
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